学問を広く捉える究の中で、ある遺伝子を持たないマウスが何の異常もなく育つことをどう説明すればよいか悩んでいました。その時、シェーンハイマーの実験を参考に、細胞は常に入れ替わり続けながら、連携によって平衡を保っているという考えにたどり着きました。これが「動的平衡」です。生命は、分解と構築を繰り返しながら「絶え間なくバランスを取っている」のです。そして、もし遺伝子に異常があっても、動的平衡の柔軟な可変性により、別の組織が役割を補ってくれるのではないかと考えました。このような経験から「生命を全体として捉えないといけない」と反省し、生命をパーツの組み合わせと見る要素還元主義的でミクロな分子生物学から離れ、少年時代のセンス・オブ・ワンダーに立ち返ったのです。越智:生命を機械論的に見るのと、動的平衡論的に見るのとでは、具体的にどのような違いがあるのでしょうか。福岡:花粉症を例に挙げて説明したいと思います。花粉症とは、我々が本来持っている、病気と戦うための免疫システムが少し過敏になっている状態です。花粉が体内に入ると、ある免疫細胞がヒスタミンという伝令物質を出します。別の免疫細胞はヒスタミンレセプターというアンテナを持っており、そこにヒスタミンが結び付くと鼻水やくしゃみが出るという仕組みです。越智:花粉症の治療には抗ヒスタミン剤を用います。ヒスタミンに似た偽物がヒスタミンレセプターに張り付き、本物がレセプターと結び付くのをブロックし、花粉症の症状を抑えます。これが機械論的な考え方なのでしょうか。福岡:はい。この見方は、生命が時間とともに動的平衡を繰り返していることを見落としています。抗ヒスタミン剤を飲み続けると、免疫細胞は偽物に邪魔されまいとヒスタミンやヒスタミンレセプターを大量につくるようになり、より花粉に過敏な体質になるという逆説に陥ってしまうのです。越智:生命は常に同じ状態を維持しているわけではないことを理解する必要があるのですね。越智:私の好きな考え方に、「スパイラル・シンキング」というものがあります。追究して答えが出そうになったら、もう1段上がってまた考える。そしてまた1段上がって再び考えるというものです。一見後戻りのように見えることも行いながら、絶え間なく新しい答えを探し続けることは大切だと思います。福岡:思想は、らせん状に回って、少しずつ上昇しながら戻ってくる。個人の考えにも科学にも、そういう歩みが必要ですし、そうして進歩してきました。学問全般において、かつては否定された説が、全く同じではないものの、再評価されるということはよくあります。越智:評価というのは、行ったり来たりしながら動いていくものです。私の専門の整形外科でも、完全否定されている方法にチャレンジする研究はあります。その時点では否定されていたアプローチでも、そこに挑戦することで新しい知見が得られ、世界的評価を得ることも珍しくありません。福岡:時間軸を考えるのが大切だと思います。学生にも伝えたいのですが、点としての勉強だけでは、情報のつながりが分かりにくくなります。まとまった1冊の本を読むなどして、意識的に理論の変遷や歴史を考えてほしい。どういうふうに学問が発展してきたかを常に押さえておかなければ、「物知り博士」にはなれても、教養人にはなれません。少し引いた目線で、時代や背景など含め、学問を広く捉えておくことが大切です。越智:広い視野での学びが重要ですね。実は、広島大学でも大学院改革を行って、11あった研究科を4研究科に再編しました。例えば、農学や理学、工学などに分かれていた生命科学分野を、統合生命科学研究科として一本化しています。分野を超え、他の研究科と横断的な連携をする体制も整備しました。福岡:分野を超えて広く捉えるというのは、良い取り組みだと思います。越智:先生はオランダの画家フェルメールの愛好家としても知られています。先生にとってフェルメールとはどういう存在ですか?福岡:私は子どもの時、顕微アートとサイエンス「天秤を持つ女」の絵画の前でホームカミングデーで講演会を実施05
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