HU-plus (vol.14) 2021年度1月号
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越智:大学では工学部石油化学科に入学し、本格的に理系の道に進まれました。一方、課外活動では考古学研究会に所属し、そこで奥様と出会われたそうですね。考古学という趣味は、化学分野の研究にプラスとなったのでしょうか。吉野:ええ、大学時代に全く畑違いの考古学を学んだことは研究に大いに役立ちました。考古学も研究も宝探しのようなものです。考古学は文献ではなく物的なもので仮説を立て、発掘作業で「ここに何があったのか、なかったのか」という事実を積み重ねて、結論にたどり着きます。仮説と検証を繰り返す点が研究開発と似ていますね。また、研究開発にあたって、未来がどうなるか予測するのはとても大切なことです。考古学は歴史学ですので、過去の人類の大きな流れをつかむことができ、そこから将来を予測する力が身に付きました。越智:「見つからなかった」という結果も、結論にたどり着く大切なプロセスなのですね。リチウムイオン電池の分野では、ネガティブなデータは論文になるのでしょうか。私も整形外科医として論文を書いてきましたが、失敗の結果を残せるジャーナルがあれば良いのではないかと思います。吉野:学長のおっしゃる通り、ネガティブなデータは宝の宝庫なんですよ。しかし、公にされないので蓄積されにくいのです。過去のうまくいかなかったデータが、全く別の用途に使えるということもあるので、大事に保存しておかなくてはいけません。越智:大学院卒業後は旭化成株式会社に入社されました。研究を続けるには企業の研究者になるかアカデミアに残るかという2つの選択肢がありますが、なぜ就職されたのですか。吉野:私は人々が使うモノにつながる研究がしたかったので、企業への就職を選びました。そのころ世界は一つの曲がり角に来ており、従来型の材料が汎用化していたため、より機能的な材料や製品にチャレンジしていかなければいけない時期を迎えていました。そのような状況下で旭化成に入社を決めたのは、新しいことに挑戦する姿勢があったからです。越智:実用的な研究を目指されていたのですね。リチウムイオン電池につながる研究を始めたのはどのようなきっかけからですか。吉野:もともと電池の研究をしていたわけではありません。当時、ポリアセチレンという電気が流れるプラスチックが世間を騒がせていました。私の研究はこれを具体的な製品につなげること。新型二次電池の負極の材料に適していると分かったため、結果的に電池の研究を始めました。越智:研究の途中で壁にぶつかることもあったと思いますが、どうやって乗り越えられたのでしょうか。吉野:大きな壁はいくつもありました。壁を乗り越えるポイントは2つ挙げられます。1点目は未来志向。将来の社会の姿を予測し、どのようなモノの需要が生まれるのかというゴールをしっかりと思い描くことが大事ですね。2点目はポジティブであること。次々と壁にぶつかるということはゴールに近づいている証拠だと捉え、モチベーションを保っていました。越智:前向きな姿勢は大切だと思います。そのような姿勢がノーベル賞受賞につながったのだと思いますが、受賞されて変わったことはありましたか。吉野:何気ない一言が話題になり、自分の発言が重みを持ったことを実感しました。社会に対して前向きな提言をするのが責務だと感じるようになりましたね。越智:コロナ禍でも実践されていたことですね。私が学長に就任して以来、山中伸弥先生やジョン・ガードン先生など多くのノーベル賞受賞者の方々をお招きし、講演していただいています。皆さんのお話は言葉に重みがあり、学生も真剣に傾聴しています。広島大学の学生には、偉大な先達のお話から将来のきっかけをつかんでもらいたいと思います。越智:最近日本の科学技術のレベルが低下し、論文数も減っていると聞きます。すぐに生活の役に立つ応用研究と、将来役に立つ基礎研究のバランスをどう保つのかは難しい問題です。吉野:よく議論される点ですね。産業界における研究とアカデミアでの研究は別物なので、役割分担が必要です。大学では真理の探究、つまり基礎研究を行い、役に立つかどうかはさておき新しい発見をする。一方、企業での研究は、この新発見をもとに実用化につなげていくことが責務です。どっちつかずが最も良くない。越智:私も大学は真理の探究をすべきだと思いますが、研究者は論文などの目に見える業績を求められる機会も多いように感じます。業大学時代は考古学に打ち込む大学と企業は研究の役割分担をオンライン講演会で質問する高校生発掘現場で仲間と(前列左から3番目が吉野氏)05

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