越智:茶の湯やその起源についてお聞かせください。上田:茶の湯は戦国時代にルーツがあり、心の静けさを取り戻すものとして武人にもたしなまれました。言葉では伝えにくい新型コロナウイルス感染症の影響で、講演はオンデマンド配信使ったんですよ。越智:普段生活されている空間が突然、茶室になったのですね。上田:部屋には小さな床の間があって、花を飾ると部屋の雰囲気がガラッと変わるんです。日常空間からその都度変身するような茶室で茶をやっていたので、どんなところでも茶室の空間を作れる自信があるんです。越智:日常と非日常をスイッチする感覚が培われたんですね。その後、修道中学校・高等学校、慶応大学経済学部に進学されて、広島銀行にお勤めになられました。上田:同じ慶応大学出身で東京に残る兄に、「大学卒業後は広島に帰れ」と言われました。当時は高度経済成長期で、あちこちの人事担当から声が掛かりどの会社にも入れるような時代でしたが、故郷の広島銀行に入行することにしました。越智:上田宗箇流を継ぐことを決められたのはいつ頃ですか?上田:就職を決めたものの、上田宗箇流の先代家元に継承者がおらず「お茶をしてるならぜひ上田家に」と前々から声を掛けられていました。お茶は長く取り組んでいて好きでしたし、歴史のある家をつぶすわけにはいかんなあと思いました。ただその時は茶を生業にする人生が送れるかどうか、自信がなかったのです。銀行の業務も面白かったので、20代後半で上田宗箇流を継いで、上田姓に変えてからも3、4年はそのまま勤めました。退職し茶道に専念すると決意したのは31歳の時です。広島大学 学長越智 光夫おち・みつお/1952年生まれ。愛媛県今治市出身。広島大学医学部卒業後、整形外科に入局。1995年島根医科大学教授に就任。2002年広島大学大学院医歯薬学総合研究科教授に就任。2007年~2011年まで広島大学病院長。2015年から現職。2012年に中国文化賞、2015年に紫綬褒章を受章。teachではなくassistあるいはcoachすること。茶の根幹は教育にも通ずる。400年―脈々と。静かな心こそ茶道の根幹04Hiroshima University Magazine
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