被爆資料は人類の遺産。保存・活用へ道探る 放射線と言うと、広島では原爆のイメージが強いかもしれませんが、実は放射線は身近なもの。医療や工業の分野の現場で活用され、自然界にも存在しているため、放射線による被ばくをゼロにすることはできません。特に低線量の被ばくについては明らかになっていない部分が多く、人々は生活する上で、放射線のリスクに対して不安を抱える場合があります。私の専門である放射線疫学は、これらの放射線被ばくの影響を解明し、安心・安全な社会に貢献する学問です。 研究では、被ばく者の受けた放射線量と実際の疾患のデータを比較し、それらの関連を分析します。広島大学に着任する2018年までは、職業に伴って被ばくを受けた診療放射線技師の集団などを対象として低線量の放射線影響を研究してきました。 現在所属する附属被ばく資料調査解析部では、原爆の放射線被害に関する資料の収集や整理、解析を実施。また、定期的に企画展示を行い、研究成果を社会へ発信しています。所蔵する資料は、亡くなった被爆者のカルテや生体試料、研究に関連する刊行物や被爆前の街並みを再現する復元調査の資料などさまざま。1973年に米軍病理学研究所から返還された貴重な資料も保管されています。 今後、技術の進歩により、さまざまな解析方法が確立され、新たな発見につながる可能性もあるため、これらの資料を良い保存状態で維持することは、非常に重要です。しかし近年、生体試料の経年劣化が課題となっています。当研究所では臓器標本を約8,200点、スライド標本を約24万枚所蔵していますが、そのほとんどが戦後初期から1990年頃にかけて提供されたもの。薬品で処理していても、長い時間を経て徐々に劣化が進んでいます。情報が失われてしまわないよう、他機関との意見交換を行いながら、新たな保存方法について検討を進めています。スライド標本については、デジタル化するためのクラウドファンディングに挑戦中です(詳細は右記QRコードから)。 広島で放射線影響の研究をするというのは、特別な意味があると感じています。原爆に関するさまざまな資料を扱っていると、これらを人類の遺産としてどのように残したら良いのかを日々考える機会があります。昨年、大学の公開講座で放射線の健康影響について講演しました。大勢の被爆者の方が来てくださり、直接お話をする中で皆さんの平和への思いや健康への関心の高さを知ることができました。 「平和」という抽象的な概念は、「健康である」ことが前提にあります。そして、健康とはWHOが定義するように「病気でない」だけでなく、身体的、精神的、社会的に満たされた状態です。私の研究は、直接的には平和に貢献できなくても、放射線の影響を正しく評価し、社会に発信することで、人々の「安心・安全(=健康)」に貢献し、平和の一助となれると考えています。 残念ながら、被爆から75年経った今でも、当研究所が所蔵する全ての資料を最大限活用するまでには至っていません。今は主として研究所内での活用にとどまっていますが、もっと公に使ってもらえるような仕組みを整えて、海外とも連携しながら、さらに研究を進めていきたいと願っています。被爆75年に考える平和「放射線疫学」から専門分野 : 放射線疫学、リスク評価よしなが・しんじ/広島大学原爆放射線医科学研究所附属被ばく資料調査解析部の部長を務める。主に放射線の健康影響を研究している。放射線被ばくのリスク解明で人々の安心・安全に貢献米軍返還資料も保管資料を活用した研究と社会発信が間接的に平和につながる原爆放射線医科学研究所 放射線影響評価研究部門吉永 信治 教授調査票に書かれた手書きのメモは、当時の様子を知る重要な手掛かりだアメリカから返還された調査資料復元調査に用いられた被爆前の広島市内の写真次世代への継承と発信11
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