HU-plus(vol.09)2019年度5月号
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平成か 特集キャンパス移転を経て、総合研究大学へと進化を遂げた広島大学平成は新キャンパスと共に発展し、現在につながる基盤を築いていった時代だったと言うことができます。「キャンパスの有り様は変わっても、まじめで知力が高い学生の気質は開学当初から変わらないと感じます。留学生や県外出身者が増え、学生が多様化しても堅実な学生が多いのは、教員を志す人が多く集まってくるからなのかもしれません」と石田准教授。 広島大学を語る上で「平和」というキーワードは欠かせません。しかし、被爆者の高齢化やキャンパス移転によって学生らが旧理学部1号館など原爆の傷あとに触れ、「平和」について考える機会が減少しました。そこで、平成23年(2011年)に平和科目を開講し、必修平成は新キャンパスと共に発展し、現在につながる基盤を築いていった時代だったと言うことができます。「キャンパスの有り様は変わっても、まじめで知力が高い学生の気質は開学当初から変わらないと感じます。留学生や県外出身者が増え、学生が多様化しても堅実な学生が多いのは、教員を志す人が多く集まってくるからなのかもしれません」と石田准教授。 広島大学を語る上で「平和」というキーワードは欠かせません。しかし、被爆者の高齢化やキャンパス移転によって学生らが旧理学部1号館など原爆の傷あとに触れ、「平和」について考える機会が減少しました。そこで、平成23年(2011年)に平和科目を開講し、必修―グローバル化やインターネットの普及が進み、人々の生活が目まぐるしく変化していった平成から令和の時代へ。広島大学も社会の変化に合わせて常に進化を遂げてきました。今号では、現在75年史を編纂中の石田雅春准教授が広島大学の歩みを振り返ります。 昭和47年(1972年)から平成7年(1995年)にかけて、広島大学ではキャンパスの統合移転という大プロジェクトが行われました。平成7年(1995年)に移転が完了し、それまで県内5市4町の19地区に分散していたキャンパスは、東広島と広島の2拠点に。東広島周辺は急速に発展し、キャンパスも活気づいていきました。広島大学にとって―グローバル化やインターネットの普及が進み、人々の生活が目まぐるしく変化していった平成から令和の時代へ。広島大学も社会の変化に合わせて常に進化を遂げてきました。今号では、現在75年史を編纂中の石田雅春准教授が広島大学の歩みを振り返ります。 昭和47年(1972年)から平成7年(1995年)にかけて、広島大学ではキャンパスの統合移転という大プロジェクトが行われました。平成7年(1995年)に移転が完了し、それまで県内5市4町の19地区に分散していたキャンパスは、東広島と広島の2拠点に。東広島周辺は急速に発展し、キャンパスも活気づいていきました。広島大学にとって07

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