HU-plus(Vol.8)2018年12月号
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小学5年生の時に父を失う越智:本日はありがとうございます。高岡さんは大阪府のお生まれですが、どういうお子さんでしたか。高岡:田舎育ちでカブトムシやセミを捕るのに隣の家の木に登って落ちて、母親と謝りに行くようなわんぱく坊主でした。小学5年生の終わりに父をがんで亡くしまして、それが大きなターニングポイントになりました。長男としての責任をいろいろな人に言われました。中学時代、一番嫌だったのが坊主頭にしなくてはいけなかったこと。それを変えたいと思い、生徒会長に当選して変えることができたのです。越智:リーダーになって成功する、という体験になったのですね。クラブ活動などはされていましたか。高岡:スポーツは大好きでしたが、勉強とクラブ活動を両立させる自信がありませんでした。母子家庭だったので「親の期待に応えなければ」と、クラブには入りませんでした。テニスを始めたのは大学に入ってからです。越智:神戸大学経営学部での大学生活はいかがでしたか。高岡:神戸の街も好きでしたし、当時から外国人がたくさんいたので、さまざまな人たちと交われたのは良かったですね。越智:英会話は大学生の頃から得意だったのですか。高岡:いいえ、まったくゼロで外資系会社のネスレに入りました。越智:では大学では勉強とテニスですか。高岡:初心者は体育会系のテニス部だとあまり練習させてもらえないと聞き、同好会に入っていました。テニスブームでしたので、大学2年生の終わりにはテニスのコーチをするようになり、2,000人に教えていました。好きなテニスでお金を稼ぐことで、社会人として必要な勉強をさせてもらったと思います。たかおか・こうぞう●1960年大阪府生まれ。神戸大学卒業後、ネスレ日本に入社。「キットカット」の「受験生応援キャンペーン」を成功させ、2010年にネスレ日本株式会社代表取締役社長兼CEOに就任する。「ネスカフェアンバサダー」などの新しいビジネスモデルを構築している。高岡浩三氏高岡浩三氏ネスレ日本株式会社代表取締役社長兼CEOネスレ日本株式会社代表取締役社長兼CEO第1特集◎[対談]第1特集◎[対談]ネスレ日本株式会社の代表取締役社長兼CEOとして「キットカット」の日本独自キャンペーンや「ネスカフェ アンバサダー」など、新しいビジネスモデルを構築し続けている高岡浩三氏。学生時代の道のりやこれからについて、越智光夫学長が伺いました。限りある人生 自分003

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