HU-plus(Vol.8)2018年12月号
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“彫刻”の魅力と可能性大学院教育学研究科一鍬田 徹 教授 人間の活動のさまざまな側面でグローバリゼーションが進行し、その結果として多様性の喪失が顕在化しています。言語も例外ではありません。英語などわずかな言語が勢力を増す一方、多くの言語が話者を失っています。ユネスコによるAtlas of the World's Languages in Danger(危機に瀕した世界の言語地図、2009年)は、日本国内の消滅危機言語として「アイヌ語」、「沖縄語」など琉球の6種、それに「八丈語」を挙げました。アイヌ語は日本語と系統が異なる言語、琉球や八丈の言葉はこの地図では〈日本語と同系統だが別の言語〉と見なされています。北海道から(奄美を除く)鹿児島の言葉は〈日本語の方言〉と言えますが、その方言の差も少なくなり、日本語全体が均質化しています。 言語の多様性の喪失という状況に対する言語研究者の態度は、①多様性の喪失は言語変化の一つであり、研究者は観察者に徹するべき、②多様性は保ちたいが、維持や継承は地域社会に委ね、研究者は言語の記録を行うべき、③研究者が地域社会と協同で言語の維持・継承に携わるべき、と大別できます。実際に①を強調する人はなく、③も多くありませんが、最近は日本国内でも特に琉球で維持・継承活動が盛んです。私は日本語の方言を研究していますが、学生の頃①に近かったのが次第に②に傾き、論文などの発表以外に方言発話の収集とウェブ公開を行ってきました。それを方言話者が喜んで下さるとさらに③にも傾きます。 しかし言葉の維持・継承は地域に負担を強います。私の調査地の一つ山梨県奈良田は周囲と異なる方言体系を持ちますが、住民の多くが高齢で、わずかな中若年層はその方言を使いません。集落の維持が重要課題で、方言の継承は困難です。また、言語多様性の喪失は生活の便の向上の帰結でもあります。富山県笹川集落は元は山に囲まれた地ですが、トンネル開通で市街地との往来が増え、周辺方言との差が縮まりました。このように③の立場は原理的に困難を伴いますが、地域の人々は自らの方言の維持を願ってもいます。この希望に少しでも応えられるような活動を模索しているところです。失われゆく言語多様性に研究者は何ができるか大学院教育学研究科小西いずみ 准教授 彫刻は、量の芸術、空間の芸術、あるいは触覚の芸術と言われます。 私が専門としているこの芸術分野は、絵画のように一般的でもなく、また工芸やデザインのように人の暮らしに役立つものでもないので、なじみの薄い分野だと思われるかもしれません。しかし考えてみれば、私たちが生きているこの世界は3次元です。彫刻は実際に質量をもったモノとして、私たちと同じ空間に存在させることができます。またモノ(作品)としての魅力はもちろん、その配置や照明も意識した立体的な空間づくりができるのも特徴です。 質量を持っているということは、直に触れることができるということでもあります。触覚を使って作品鑑賞する試みも増えており、私も美術館でのワークショップや大学の授業の中でアイマスクを使用し、あえて視覚を閉ざした状態での表現や鑑賞の活動を行っています。 ただ一口に“彫刻”と言っても、その言葉が示す対象が随分と広く、ある意味、曖昧なものになってきました。かつてのように彫る、刻むだけではない、光や音、動きを取り入れた作品や、3Dプリンター、フィギュアなども登場し、素材においても技法においても多様化が進んでいるからです。近頃は、土偶や仏像・神像、人形・置物からフィギュアまで含めて、“立体”または“立体造形”と呼称されることも多くなってきました。 現代では、作品と“場”とが密接に関わって存在する“サイト・スペシフィック”という概念が普及しています。豊かな自然や人々の暮らしと現代的なアート作品が同じ空間の中で共存する新たな風景が、あちこちで見られるようになりました。その代表が越後妻有アートトリエンナーレや瀬戸内国際芸術祭であり、たくさんの人が訪れる観光資源にまで発展しています。社会と彫刻との関わりと言う点では、パブリックアートの存在もあります。私がデザインさせていただいた広島大学病院診療棟前の作品もその一つです。 彫刻あるいは立体(造形)は、多くの魅力と可能性を持った芸術分野なのです。イラスト:新﨑寛子2016年3月大学院修了。現在広島県公立高校芸術科(美術)教諭個展風景富山県朝日町笹川の集落で、学生とインタビュー調査広島大学病院診療棟前に設置されている作品「Four Seasons Tree(四季の木)」016
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