HU-plus(Vol.6)2018年4月号
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「誕生の終点は死、出会いの終点は別れ」─これはチベットに伝わることわざです。ヒマラヤ山脈の北に広がるチベット高原には、東京23区の人口にも満たない600万人程度の人々が暮らし、海抜3000m以上の高地で牧畜を中心とする生活様式と、インド由来の仏教を基盤とする独自の文化を形成しています。 厳しい自然環境にあって死を身近な存在と捉えるチベットの遊牧民は、上のことわざが示すように、命には必ず終わりがあるという現実を冷静に受け止めています。信心深い仏教徒であれば、今生でのつかの間の幸せではなく、より良い来世での往生を願い、日々祈禱(きとう)や読経に努めることでしょう。彼らの多くが、遺言書の作成や自身の介護・葬儀に関わる相談といった、いわゆる「終活」とは無縁の世界で生きています。高齢に達して仕事を引退した時、彼らが気に掛けるのは、自身が安心して死ぬための精神修養です。そして、臨終を迎えると、遺族は僧侶を招いてポワ(転移)と呼ばれる臨終儀礼を執行し、死者の意識が極楽世界へと旅立つことを祈願します。儀礼が終われば、遺体を山の上に運び、鳥葬を行います(土葬・水葬・火葬を行う地域もあります)。 チベット人の死生観が仏教に基づくことは言うまでもありません。ゲルク派を築いた学僧ツォンカパ(1357‒1419)は主著『ラムリムチェンモ』の中で、インド仏教の知識を基に、人はいかに死に向き合うべきかについて語っています。彼は「メメント・モリ(死を思え)」「死を怖れよ」と説きます。死に対する無考慮こそがさまざまな煩悩を生み、結果として自身を苦しめるからです。そして、人は家族との別れや断末魔の苦しみを怖れるのではなく、自身が善業に努めないまま死の瞬間を迎えてしまうことを怖れるべきであり、生きている間に修行に精励せよと説きます。人は誰でも死を避けられません。人生とは死という谷底に向かって転落する過程に過ぎず、死に際しては財産も家族も無意味であり、自身が生前に習得した仏法の他に頼れるものは無いというのが、ツォンカパの見解です。ただし、彼は悲観論者ではなく、死を思うことが生の充実につながると考えています。 仏教学は、チベット人の精神的支柱であり日本人にとってもなじみ深い仏教を、原典で読み解くことを通じて、人間の生き方を見つめ直す学問です。私たちの研究は、新たな価値観に気付くきっかけを与え、人生を豊かにすることを目指しています。大学院文学研究科根本裕史教授チベットの死生観を通して生き方を見つめ直す017
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