HU-plus(Vol.5)2018年1月号
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てなかったのです。だから私が作ったのです。越智:先生が作られたのですね。今となっては東大と早稲田、どちらに行くのが良かったか、分からないですね。吉村:そうですね。人生は何が転機になるか分かりませんね。越智:先生は1966年からエジプトでアジア初の調査隊を組織して発掘調査を始められましたが、発掘調査をするにはエジプト政府の考古省の許可が必要ですよね。先生はどのようにして考古省から信頼を得られたのですか。吉村:当時はヨーロッパの人しか発掘調査ができませんでした。アジアは文化的に遅れていると思われていたのです。さらに、アスワンハイダムを造るときに「ヌビアの遺跡を調査するので日本から調査団を送ってほしい」と要請があったのですが、日本は調査団を派遣しなかった。そのようなことがあって日本には発掘権を与えない、と決まっていました。私はそんなことは知らないでエジプトに行きました。だから「日本には発掘権をあげないし、あげてもできないだろう」と言われていましたが、実際に日本の発掘現場を見てもらったら「日本人でもできるじゃないか」と認めてもらえた。 他にも、当時、私はエジプトの日本大使館でアルバイトをしていたのですが、「日本大使館から来ました」と言うと、役所の方も会ってくれました。大使館のアルバイトでは車の手配などいろいろなことをやりました。そのうちに「重宝な人間だ」ということになって、大使の秘書までやりました。そうやって大使館のお墨付きをもらえるところからも信頼を得ることができたのです。越智:なるほど。私がエジプトに行くようになったのは、エジプトの考古大臣からの要請がきっかけです。8月6日の式典の日に彼は広島に来ることができなかった。長崎の式典には来られたのですが、その後、ぜひ広島の平和記念公園にも行きたいと言われて。広島でお会いしたら「ぜひエジプトに来てください」と、招待され、それから2回行かせていただきました。うかがってみるとカイロ大学農学部のハニー農学部長が広島大学のご出身だったことから、彼にいろいろアレンジしていただくことができた。 2015年にはスフィンクスの前でカイロ大学の学長と大学間の国際交流協定の調印式を行いました。2016年暮れにはカイロ大学でジャパンフェスティバルを開催。カイロ大学に広島大学の拠点を設け、現在7大学と大学間国際交流協定を締結しています。さらにE-JUST(エジプト日本科学技術大学設立プロジェクト)※の日本文化や日本語教育を広島大学が支援することになっています。今後もエジプトとの大学間交流をさらに深めていきたいと考えています。吉村:それは知らなかったですね。越智:そういえば、先生のお弟子さんの黒河内宏昌先生(東日本国際大学客員教授)に、先生が発掘された「第2の太陽の船」を案内していただいたこともあります。では、エジプトの魅力についてお聞かせいただけますか。吉村:歴史が古いということ。それからギザ、サッカラ、ルクソール、アレキサンドリアなどの有名な場所も、ツタンカーメン、クフ、クレオパトラなどの有名人も多い。 そしてその古い歴史が残っている。中でも一番は文字資料。他の文明は文字がちゃんと残っていないのですが、エジプトは神殿にも書かれているし、古美術もあるし、お墓に書かれているなど、二重三重に書いてあるのです。古代史というのは10%くらいしかわからないのが普通で、あとは類推しなくてはいけないのに、エジプトの場合は80%くらいが分かっていて、20%を類推すれ吉村先生の主な活動内容「第2の太陽の船」発掘現場の吉村先生と復原されている「第1の太陽の船」 1966 ジェネラル・サーベイを行う1971 東洋人で初めてエジプトの発掘権獲得。 マルカタ南遺跡の調査を開始。1974 1月、魚の丘彩色階段を発見。1982 クルナ村の貴族墓から約200体のミイラを発見。1987 電磁波探査により、「第2の太陽の船」の船坑を発見。1989 アメンヘテプ3世王墓調査開始。1991 アブシール南遺跡調査開始。 12月にカエムワセトの葬祭殿を発見。1993 「第2の太陽の船」の木材サンプリングに成功。1995 人工衛星画像の解析により発掘地を選定。1996 ダハシュール北遺跡調査開始。イパイのトゥーム・チャペルを発見。1997 ダハシュール北遺跡にてツタンカーメン王の銘が刻まれた指輪を 発見。2000 早稲田大学エジプト学研究所創立。2001 アブシール南遺跡にてクフ王の銘の入ったスフィンクスを発見。 アメンヘテプ3世王墓保存・修復プロジェクト開始。2002 アブシール南遺跡にてエジプト最古級の石積み遺構を発見。2004 ダハシュール北遺跡にて、神官「タ」のトゥーム・チャペルを発見。2005 ダハシュール北遺跡にてセヌウのミイラマスクを発見。2007 ダハシュール北遺跡にて「ウイアイ」「セベクハト」「セネトイトエス」 の木棺などを発見。 「第2の太陽の船」プロジェクト再開。2011 6月、「第2の太陽の船」の船坑の蓋石を取り上げ成功。2012 2月、「第2の太陽の船」の木材サンプリング成功。調査遺跡地図005

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