HU-plus(Vol.2)2017年1月号
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若い人が学問を自由にできる環境を提供したい。1952年愛媛県生まれ。1977年広島大学医学部卒業。整形外科医。1996年世界初の三次元自家培養軟骨移植を開始し、2004年に内閣府の日本学術会議会長賞、2010年に文部科学大臣表彰科学技術賞、2014年に産学官連携功労者表彰厚生労働大臣賞を受賞。2007年~2011年、広島大学病院長を務める。2015年、広島大学学長に就任。同年、膝軟骨再生医療の功績により紫綬褒章を受章。越智光夫(おち・みつお)広島大学 学長を出発点にして逆に話を下げていくと、意見が分かれ始める。そこが本当に議論すべきポイントです。越智:上位概念がしっかりしていれば、組織が一枚岩になって取り組むエネルギーになるというわけですね。日本にはマツダより大きな規模の自動車メーカーがある中で、デザインにしてもエンジンにしても、マツダの個性は輝いています。今年はプロ野球でも、広島東洋カープが潤沢な資金を持つ巨人軍を打ち破ってリーグ優勝しました。広島大学も東京大学や京都大学と肩を並べ、世界トップレベルの教育・研究を行う大学として生き残りたいと思っています。限られた環境や資金の中で、どのような戦略や精神で改革を進めていかれたのか、お聞かせください。金井:始めからうまくいっていたわけではありません。私が入社して25年くらいはロータリーエンジンに社運をかけていました。しかし「ロータリーエンジンは燃費が悪い」などといわれて業績が悪化したり、景気に経営が大きく左右されたりしていた時代でした。ふらふらした状態が続いていたのです。マツダの進むべきベクトルをそろえていくために必要なのは、企業としての一つの強いメッセージだと考えていました。2000年代になり、“Zoom-Zoom”というフレーズが登場し、ちょうどその頃から私も開発責任者という立場になりました。“Zoom-Zoom”、いわゆる車に乗ったときのワクワク感を追求し、進化させることにしました。具体的には、エンジンで世界一を狙おうと決めたのです。越智:さまざまなことに手を出さずに、資本をエンジンに集中する戦略を取ったのですね。金井:そのとおりです。資源には限りがある。しかもライバル他社よりも少ない。当時、これからの時代は電気自動車・水素自動車だとか自動運転システムが主流になるだろうと言われはじめていましたが、われわれには先行して開発を進める余力はありませんでした。社運をかけるのなら、メジャーな市場であり、マツダらしいところにかける。その結論が、徹底した“Zoom-Zoom”の追求でした。10年先を見通す越智:未来のビジョンをどのくらいのスパンで考えられているのでしょうか。金井:自動車業界はおおよそ10年だと思っています。車はふつう5年に1回モデルチェンジしますから、2つ先のモデルチェンジまでを想定するのが限界かなと。技術についても同様です。完成まで10年近くかかる技術も確かにありますが、10年あれば少なくともプロトタイプはできる。それ以上先には、なかなか資源はかけにくい。ただ、解析技術や計測技術といった類は、逆に10年経ったら006

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