HU-plus (vol.12) 2020年度5月号
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越智:高校卒業後、お笑い以外の道に進むことは考えなかったのでしょうか。片岡:全く考えませんでした。お笑い以外にないと思っていましたね。越智:修業時代に苦労されたことは?片岡:もう、苦労しかありませんでした(笑)。それでも自分が好きで選んだ道ですから、楽しくてしょうがなかったですね。一番大変だったのは「弟子入り」の時。実は、初めての師である片岡鶴八師匠に付く前に、清川虹子さんに弟子入りを志願していたのです。当時喜劇俳優でシリアスな演技にも定評があった方でした。高校の卒業式が終わって清川さんの家に直行し、夜中まで何時間も座り込んだものの、お付きの方に「清川は女の弟子しか取りません」と、最後は警察に通報されそうになりました。越智:それは散々でしたね。片岡:はい。泊まる場所もなかったので、近くの交番に頼み込み片隅に寝かせていただいて。翌朝には両親が引き取りに来て、こっぴどく叱られました。その一件で学習し、片岡鶴八師匠に手紙で志願すると「一度来てみるかい」とお声掛けいただきまして。師匠たちの前で月の家圓鏡さんの落語の物まねをしたところ、とてもうけたことが芸人生活の始まりでした。越智:弟子入り後、浅草演芸場に出演され、テレビでブレイクされるまでに約10年かかったとのことですが、その期間はどのように考えておられましたか。片岡:芽が出るまでの時間は自分にとって必要な時間だから、たっぷり修業のために使おうと思っていました。いろいろな経験を積み重ねる時間として、大切だったと感じています。越智:その後、人気お笑い番組『オレたちひょうきん族』にレギュラー出演されるに至ったのですね。片岡:10年間、当時絶大な人気を誇っていたアイドル・マッチ(近藤真彦氏)のパロディをしていました。当時の彼のやんちゃさを表現したいと思い、歌を歌いながらセットを壊して回るパロディをしたところ、多くの方に気に入っていただけたことが、片岡鶴太郎を知っていただくきっかけになりましたね。越智:お笑い以外にも、さまざまなことにチャレンジされています。まず、ボクシングに挑戦された理由は何だったのでしょうか。若手芸人時代。鶴八師匠と楽しさに気付かれたのですね。私も中学時代に成績が大幅に下がり焦った時、自分で「勉強しよう」と決意する大切さを感じました。片岡:勉強は自分の生活から離れたものではなく、直結するものだと分かると面白いですよね。越智:まったくその通りです。片岡さんが勉学にひたむきになれた原動力は何だったのでしょうか。片岡:芸人になりたいという「志」ですね。自分がやりたいもの、好きなものをしっかり持つことがモチベーションになると感じます。越智:その後、勉強の成果は表れましたか。片岡:最終的には復習だけでなく、中学3年の2学期分まで予習し、休み明けの抜き打ちテストでは3教科・90点満点中85点。先生が「お前、バカじゃないよ。すごいな」と心から褒めてくださったことが今でも印象に残っています。この時に感じた「俺ってやればできるのか」という体験が、その後の人生の核になっています。越智:そして、無事に第一志望の都立高校に進学されたのですね。片岡:有名人も出ている都立竹台高校に合格できて、うれしかったですね。片岡氏の書「汝の立つ処深く掘れ そこに必ず泉あり」。文芸評論家・高山樗牛氏の言葉。好きで選んだことの苦労は楽しい経験を積み重ねる大切な時間魂の赴くままに05

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