HU-plus (vol.12) 2020年度5月号
11/32

広島大学体育会が発足した1963年、広島大学と宮島間の往復40キロをつなぐ「学長杯争奪フェニックス駅伝」が行われました。市民の参加や仮装で走る学生などでお祭りムードの漂うユニークな大会に。その後もさまざまなスポーツの大会が実施され体育会の活動は活気づいていきました。体育会初代会長に就任した当時の皇至道(すめらぎ・しどう)学長は、運動部の学生だけの組織ではなく、一般の学生に運動や体育に親しんでもらうことで大学全体のスポーツ振興を望んでいました。現在もその思いが継承され、フェニックスリレーマラソンなどは地域とのつながりにも役立っています。広島大学の前身校は、ボート競技やサッカーなど代表的なスポーツを持ち、全国大会での活躍や地元での定期戦はスポーツ王国広島の素地を形成しました。中でも活躍が際立ったのは、1923年に広島高等師範学校に入学した織田幹雄氏。同年に開かれた第6回極東選手権大会で、走り幅跳びと三段跳びに極東新記録を樹立して優勝しました。さらに翌年のパリ五輪の三段跳びで6位入賞。早稲田大学に入学した織田氏は、4年後のアムステルダム五輪の三段跳びで日本人初の金メダリストとなりました。柔道男子ブラジル代表監督を皆さんはご存知でしょうか。抜擢されたのは、広島大学教育学部・大学院教育研究科出身の藤井裕子さん。大学院修了後、留学先のイギリスでオファーがあり、イギリス代表チームのコーチに。その後は、ブラジル代表のコーチに就任し、ラファエラ・シルバ選手らを指導。リオ五輪での金メダル獲得に貢献しました。2018年に現職に抜擢。女性が柔道男子の監督を務めるのは珍しく、藤井さんの指導力が高く評価されていることが伺えます。東京五輪も注目です。広大 スポーツよもやま話1964年東京五輪のために建設された国立代々木競技場(旧・国立屋内総合競技場)は、広島大学の中央図書館と同じ、丹下健三氏が設計しました。丹下氏は広島高等学校(現・広島大学)の出身です。広島大学病院スポーツ医科学センターでは、広島東洋カープ新入団選手の体力測定(フィジカルチェック)を行っています。その結果はカープのトレーナーと共有し、選手のトレーニング計画作成に活用されています。今シーズンも新人選手の活躍を期待しています!広島大相撲部は過去、部員の減少によって廃部の危機に。それを女子学生と留学生が救ったという実話をもとに2005年『ちゃんこ』という映画が製作されました。東広島キャンパスを中心に学生など延べ1000人以上のエキストラを動員して撮影が行われ、カンヌ映画祭、ベルリン映画祭などで上映されました。10Hiroshima University Magazineカープ新人選手の 体力測定を実施1964年聖火リレー走者を務めたOB藤本幸宏さんブラジル柔道を率いるOG藤井裕子さん広大中央図書館と代々木競技場は設計者が同じ!体育会行事 地域に開く相撲部の実話が映画化!スポーツ王国広島と織田幹雄氏第1回フェニックス駅伝(個人蔵)アムステルダム五輪での跳躍(海田町教育委員会提供)1964年の東京五輪では、広島大学生2人が聖火リレー走者として広島県内を走りました。その1人が当時、工学部化学工学科1年生だった藤本幸宏さん(74)。聖火は9月20日に広島県入り。藤本さんは翌21日、太田川に架かる祇園大橋(広島市)を渡って三次市方面に向かう約2キロの区間を走りました。沿道で小学生の鼓笛隊が演奏する中、白バイに先導されて走った藤本さん。「私は終戦の日生まれ。聖火を手に平和の大切さを実感しました」。着用した日の丸と五輪マーク入りのランニングシャツは、当時の写真と一緒に今も大切に保管しています。「大学時代はジャズに熱中し、あまりスポーツとは縁がなかった」そうです。今夏の東京五輪は約1年後に延期となりましたが、得意の英語を生かし、大会ボランティアとして二度のお役に立ちたいと張り切る毎日です。

元のページ  ../index.html#11

このブックを見る