「なんとなく」ではなく、勉強できる幸せを感じながら学生生活を送ってほしい04Hiroshima University Magazine良い物を売る。ことは。だと思いますが、恵まれすぎていたせいかあまり勉強はしてこなかったですね。今ではもっと勉強しておけばよかったと感じています。越智:高校ではボクシングに励まれたとのことですが、お強かったのでしょうか。矢野:いえ、強くはなかったですが、やる人が少なかったので東京オリンピックのバンダム級の強化選手にはなれました。将来はボクシングでご飯を食べていこうと考えましたが、後にオリンピックで金メダリストになる強い先輩が大学にいて、レベル・才能の差を感じてやめてしまいました。越智:中央大学をご卒業後、会社を立ち上げられるまでにはどのような経緯があったのでしょうか。矢野:大学時代は100日も学校に行かず、アルバイトばかりして卒業しました。卒業後、人生の困難を三つ経験しました。一つ目は夜逃げ、二つ目は火事、三つ目は倒産です。最初の夜逃げは大学を卒業して尾道に帰った時でした。瀬戸内海で何も知識がないまま魚の養殖を始め年間で1000万円近い借金を背負いました。「このままではまずい」と思い私は家族を連れて東京へ夜逃げを敢行しました。越智:それは大変なご苦労をされましたね。上京されてからはいかがでしたか。矢野:ボロボロになりながら上京したのですが、着いてからは広島の同級生で一流商社に入った友人を頼り、相談にいきました。そこで当時のお金で30万円もする百科事典を売るセールスの仕事を紹介してもらったのですが、1カ月しても全く売れず、あまりにうまくいかないので辞めてしまいました。越智:なかなか難しそうなお仕事ですね。矢野:はい。夜逃げした際は「俺って運がないんだな」と思いましたが、この時は「俺って能力もないんだな」と。自力にも他力にも見放されたと愕然としました。でも、だからこそ、「食えればいいんだ」と。それ以上は望まない、運も能力もないのだから食えるだけでありがたいと開き直って一生懸命働きました。これがある意味、成功の秘訣になっていると実感します。越智:なるほど。多くを望まず、目の前の仕事をひたすら取り組まれる姿勢が、今の成功につながったと。矢野:セールスの仕事を辞めた後、私はちり紙交換の仕事を始めました。当時は高額収入の仕事でしたし、体力だけは自信があったので必死に取り組むとお金もたまりだし、それがまたうれしかったですね。越智:お金がない時期を経験されたからこそ、そのうれしさは格別でしょうね。矢野:お金がたまったので、援助してくれた兄たちに借りていた50万円を返しに行ったので成功の秘訣は運も能力もなかったこと100円に対する感謝広島大学 学長越智 光夫おち・みつお/1952年生まれ。愛媛県今治市出身。広島大学医学部卒業後、整形外科に入局。1995年島根医科大学教授に就任。2002年広島大学大学院医歯薬学総合研究科教授に就任。膝軟骨損傷の患者から採取した細胞を培養し、患部に移植する三次元自家培養軟骨移植を開発した。2015年、紫綬褒章を受章。
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