広島大学の正門の秘密に迫る「広島大学の正門ってどこなんだろう?」皆さん気になったことはありませんか。8月号では広大の門の秘密に迫ります。広大キャンパスの「イマ」をお届けキャンパスNOWA. 実は「正門」はないんです。Q1. 東広島キャンパスの「正門」はどこ?統合移転に際し掲げられた新キャンパスの理念は「地域ととけあった大学(開かれた大学)」。移転の際には自然環境や地域住民の方の意向を尊重し、「正門や道路交通を妨げる塀などは設けない」という方針で整備が行われました。現在自動車通行ゲート(一部有人)があるものの、自由に通行できるため、キャンパス内には散歩をする地域住民の方や図書館で勉強する中高生の姿も見られます。霞キャンパスにも「正門」は設置されていません。しかし2013年の診療棟の開院を記念したオブジェ「Four Seasons Tree(四季の木)」が正面ゲートに設置されており、大学病院のシンボルとなっています。正面の道路には国鉄宇品線が走り、正面ゲート付近には「上大河駅(かみおおこうえき)」がありました。また、この地にはかつて広島陸軍兵器支廠がありました。A. 東広島と同様、正門はありません。霞キャンパスの以前の姿Q3. 霞キャンパスの正門はどこ?NOW1973年に決定した西条への大学統合移転に際して、最も早く東広島キャンパスに移転した工学部。工学部の前身である広島工業専門学校(広島高等工業学校として1920年創設)時代から広島市千田町にあった正門も東広島に移され、今も同学部のシンボルとなっています。A. 前身校の正門なんです。Q2. 工学部付近にある門は何?NOWA. 旧正門が隣の公園に残っています。Q4. 東千田キャンパスには正門が2つある!?東広島キャンパスへの統合移転前にメインキャンパスがあった広島市東千田町に一部残ったこのキャンパスには唯一正門が設置されています。そして、隣接する旧キャンパス跡地(現在の東千田公園)にはなにやら歴史を感じる門柱が。前身諸学校の一つである広島文理科大学時代からのもので戦後現在の場所へと移設されました。発足時から広島大学を見守ってきた旧正門は、今も変わらず地域の人々を迎え入れています。NOW東広島キャンパス東千田キャンパス霞キャンパス前身校時代の正門大学発足時の正門(1951年)現在の東千田公園21
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