敦煌はシルクロードの要衝で、かつての東アジアや中国の歴史が分かる木簡、巻物や図像などの史料がたくさん残されています。その中には、古代中国の宇宙観や死生観の解明につながるような新事実も見いだされています。 古代中国で、天(≒宇宙)は人間界・自然界を覆う絶対的な意志のような存在と考えられていました。そして天文は“天の意思”や世の中の変化が表される“文(あや≒文様)”と考えられてきたのです。ですから、中国の為政者が“天の意思”を読み、世の流れを知るために学んだのが天文学と言ってもよいでしょう。当時の天文書には、歴史の中でどういった自然現象が発生し、そのとき世の中にどういう出来事が起こったかということがまとめられていました。為政者は天文から天の意志を読み解くことで国をあるべき方向に導いたのです。 隋から唐の時代になると、天文書に掲載されている星座の数は増え、膨大な量になります。また、社会の広い層にもそうした知識が広まり、庶民にまで好まれる星占いとしても広まったこともあって、星座を学ぶために覚え歌や数え歌が作られるようになりました。『歩天歌』という本は日本にも伝わっていますが、敦煌からは唐代に実際に使われていた『玄象詩』などさまざまな覚え歌が今日まで残っています。星の配置を図で表した「星図」もたくさん発見されています。 中国人の天に対する考え方は、死生観にも関わりがあります。中国の古典『詩経』に収められた詩には、天上世界にいる祖のもとに死者の魂が召されていく表現が出てきます。古代中国では「たましい」はしばしば二つあり、人が死ぬと「たましい」の一つが体から抜けて天上世界に昇り、残りの一つは体にとどまると考えられていました。前者を「魂(こん)」、後者を「魄(はく)」と呼びます。魂は山を通って天に昇るとされたため、人々はしばしば山のふもとに墓を建てました。そして天上世界につながる山を神聖な場所として信仰する考え方が生まれました。このため、墓にも天文や山を描くようになったのです。こうした習慣や信仰は、今でも中国の一部の人たちに受け継がれています。 なお、天上世界では死んだ人々で一つの社会が形成され、魂が宮仕えをしていると考えられていました。中にはどんどん出世して、なんと天帝になる人や、失脚してしまう人もいました。中国の古い墓から出土した図像には、天文と共に人間の姿をした神々が描かれているものがありますが、これは天上世界で活躍する魂をイメージしたものと推測できるでしょう。天文の中にもそのような神や魂のいる宮殿や役所がたくさん設けられ、同じ位置からほぼ動かない北極星のあたりは紫薇宮という天帝のいる宮殿があると考えられていました。このように言うと夢があるように聞こえるかもしれませんが、これが人間界・自然界を覆う絶対的な意志と考えられるわけですから、中国の天文は実は結構シビアな世界なのです。身近な疑問を、異なる専門分野の研究者が解説!今回はいまだ謎に包まれている宇宙の神秘に迫ります。学問の探求教授が答える、社会の“?”「死者の魂が昇る天上世界」を思い描いた古代中国の人々あらみ・ひろし/広島大学敦煌学プロジェクト研究センター長を務める。敦煌の遺物から古代中国の文化や来世観などを研究している。専門分野 : 敦煌学、中国文学唐時代の星図出典:敦煌天文暦法文獻輯校古くから“人”が暮らす天上世界が描かれていた天文学は中国の為政者の必修科目シルクロードの要衝敦煌で探る新たな知魂は山を通って天に昇る「敦煌学」から天に近い山は特別な存在だ(敦煌 三危山)线图出处:湖南省博物馆,中国社会科学院考古研究所:《长沙马王堆一号汉墓(上集)》北京:文物出版社,1973年10月,图三八,彩绘帛画,第40页。大学院総合科学研究科荒見 泰史 教授12Hiroshima University Magazine
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