HU-plus(Vol.1)2016年11月号
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1945(昭和20)年11月に撮影された東千田町の広島文理科大学付近の様子。爆心から約1.5㎞の木造校舎は倒壊・全焼した。(米軍撮影、米国立公文書館所蔵) 1874(明治7)年に設立された白島学校(広島師範学校の前身)をはじめとし、広島大学はわが国でもっとも多くの前身校を持つ大学です。それだけに、1945(昭和20)年の原爆投下の影響は大きく、前身諸学校は爆風によって破壊されたり、焼失したりしました。関係者の原爆死没者数(1945年末まで)は、確認されているだけでも676人にのぼります。 1949(昭和24)年に前身校を統合して、新制「広島大学」が誕生します。「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」と原爆死没者慰霊碑の碑文に撰述・揮毫した雑賀忠義・教養部教授をはじめ、多くの本学関係者が、原爆・平和問題に取り組んできました。 初代学長に就任したのは、元衆議院議員で文部大臣でもあった森戸辰男です。森戸は、「平和都市広島にふさわしい大学をつくりたい」という思いを胸に、世界各国の大学に平和関係図書と樹木の寄贈・寄附を求めます。前者は図書館の平和文庫に、後者は大学の緑化につながっていきます。 本学の平和と復興への思いは、学章にも色濃く反映されています。復興のイメージである緑色を基調とし、エジプト神話に出てくるフェニックスが不死鳥であることになぞらえ、フェニックスの葉をデザイン。学章は廃墟の中から立ち上がった本学の歴史を如実に象徴しています。 広島大学を特徴づける教育といえば、「平和科目」が挙げられます。他大学ではあまり見られない授業ですが、本学では必修科目。「戦争」「原爆」にとどまらず、その背景にある「貧困」「経済格差」「宗教」「歴史」「環境」など、現代社会が直面しているさまざまな問題に、平和というテーマを組み合わせた独自の内容で、2016年度は23科目を開講しています。被ばく地ヒロシマに開学した大学として、「平和を希求する国際的教養人」を育成することが本学の使命だと考えています。 また、2011(平成23)年に発生した東日本大震災と福島原発事故では、本学が緊急被ばく医療支援の大きな役割を担いました。派遣スタッフは延べ1,300人を超えます。学生たちも継続的にボランティアの「つながり隊」を組織し、被災地へ赴いています。建学の精神「自由で平和な一つの大学」と理念5原則のトップに掲げる「平和を希求する精神」を具現化した取り組みの一つです。初代学長・森戸辰男。衆議院議員、文部大臣を経て、1950(昭和25)年、広島大学の学長に。以後、13年間にわたって広島大学発展の礎を築いた。日本育英会会長、中央教育審議会会長などを歴任した。統合移転前(1981年)の東千田キャンパス。1983(昭和58)年の東広島キャンパス。広島市内から最初に移転したのは工学部だった。廃墟の中から不死鳥のように立ち上がった大学平和を希求する精神は広大人のDNA1874(明治7)年 7月 1日 白島学校(広島師範学校の前身)の創設1945(昭和20)年 8月 6日 広島に原子爆弾投下   包括校の死者1,930人(教職員310人、生徒1,620人)※2016年8月現在1949(昭和24)年 5月 31日 新制広島大学の設置   旧制の諸学校を包括・併合し、文学部、教育学部、政経学部、理学部、工学部、水畜産学部の6学部および教養部、附属図書館、理論物理学研究所をもって発足1950(昭和25)年 4月 19日 元文部大臣森戸辰男が初代学長に就任1950(昭和25)年 11月 5日 広島大学開学式   「自由で平和な一つの大学」にすることを森戸学長が表明1953(昭和28)年 8月 1日 医学部設置(県立広島医科大学の移管)1956(昭和31)年 1月 20日 広島大学学章の制定1957(昭和32)年 11月 5日 広島大学歌を発表1965(昭和40)年 4月 1日 歯学部を設置1973(昭和48)年 2月 8日 広島県賀茂郡西条町(現東広島市)に統合移転することを正式決定・公表1974(昭和49)年 6月 7日 総合科学部を設置1995(平成7)年 11月 1日 広島大学統合移転完了記念式典を開催2002(平成14)年 10月 25日 中国・北京に初の海外拠点を設置2004(平成16)年 4月 1日 国立大学法人広島大学の発足2013(平成25)年 9月 20日 広島大学病院新診療棟を開院2016(平成28)年 3月 28日 東千田キャンパスに東千田未来創生センターを開所《広島大学のあゆみ》006

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