社会だけでなく「数学のあの問題をどう解くか」とか。知的な興奮が結構あふれていた気がしますね。越智先生はなぜ広島大学の医学部を選んだのですか。越智 私も数学は好きでした。ただ社会が苦手で、高校3年時に受験科目を3回も変えたほどです。すると担任の先生から「入試をなめとる」と叱られ、入試に社会がない広島大学医学部を勧められました。旧制松本高校から東北大学医学部に進んだ北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』、『楡家の人びと』など一連の小説を読むと、医者もなかなか面白い。体を動かす職業に就きたいと考えていたので新聞記者もいいなと思い、社会の代わりに数Ⅰが選べた早稲田大学政治経済学部も受験しました。母親には「勉強しないから浪人は絶対だめ」と言われていたこともあり、何が何でも医学部というこだわりはなかったですね。越智 先生の研究対象は霊長類の中でもチンパンジーやオランウータンでなく、どうしてゴリラなのですか。山極 日本の社会を考える上で家族という単位は欠かせません。チンパンジーもオランウータンも家族を持たない。唯一、家族的な集団を組んでいるのがゴリラです。日本の霊長類学の創始者である今西錦司先生が、1958年にアフリカ探検に行った時に目指したのが家族の起源なんです。しかし60年にアフリカの独立戦争が勃発し、コンゴをはじめゴリラの生息地が戦場になって、研究が中途半端になってしまった。そこに切り込んでやろうという気持ちはありました。フィールドワークをしていたコンゴも内乱が続いていて、結構危ない橋も渡りました。越智 一番危なかった経験は。山極 少年兵に囲まれて銃を突きつけられました。ゴリラに襲われたこともあります。群れに入っていくためには、数年間、毎日辛抱強くゴリラの後を追っかけて、こっちが危険じゃないことを知らせないといけない。ゴリラも最初は逃げるんだけど、しつこく追いかけていくと今度は攻撃してくるわけです。敵意を感じた雌に取り囲まれて頭をかじられ、足を食いちぎられそうになったこともありました。越智 ゴリラに襲われた時、殺されるという恐怖感はなかったですか。山極 脚を17 針、頭も5針縫いましたが、よく考えてみると、殺すつもりなら頸動脈を切って、腹を裂いていますよね。何で頭と脚をやったのか。雌が噛んだところはゴリラなら脂肪がついている。人間は脂肪がないので切れてしまったんです。雌ゴリラたちは私を殺す気で襲ったのではなく、懲らしめるつもりだったんだなとわかりました。越智 とはいえ大変な目に遭われたんですね。山極 マウンテンゴリラを調査して、雄を制すれば、雄の陰に隠れている雌が自分たちを襲ってくることはないと高をくくっていました。ところが、襲ってきたのは西ローランドゴリラという違う種類のゴリラで、彼らは雄を無視して雌が襲ってくる。ゴリラは同じと思ったら大間違いで、地域によって文化も行動も違うことを思い知らされました。越智 山極先生は「SDGsが掲げる17の目標に入っていないのが文化」と言われています。日本各地にそれぞれの社会や歴史に基づく多様な文化があります。それが画一化されてしまうことに私も危機感を抱かざるを得ません。地域の文化は、なくなってからでは取り返しがつかない。一日も早く守る手立てが必要ではないかと思っています。山極 今の若い人は日本の地域文化を学ぶ機会がない。インターネット上の情報によって、判断の基準や方法論のほとんどを得ている。いわゆる「文化の無国籍化」です。越智 本来、日本人のアイデンティティーは地域の文化によって形成されてきたということですか。山極 ええ。極端に言えば、日本のアイデンティティーはいまだに幕末のおよそ300 藩に分かれています。それぞれが持っている伝統知や在来知があって、その中で発想ができる。違う文化が出合えば、また新しい発想が生まれるわけです。それがイノベーションの源泉であり、全部が同じになったら新しいことは生まれない。各地域の個別文化が残っている強みを、日本は生かすべきです。越智 私が留学したイタリアもそうです。北イタリアと南イタリアは全く違う。異なる文化がぶつかるから、新しい文化や考え方が生まれると思うんです。大学の話に戻ると、各大学が東大や京大の「金太郎あめ」では、地方大学を含めてイノベーションを起こせない。全然違うタイプの大学が自分の個性を持ちつつ、他の大学と手を携えていく発想が必要ではないでしょうか。競争に代わる共創の仕組みを築いていくべきです。山極 これからは国同士もランキングを競うのではなく、広島大学が米国アリゾナ州立大学とやっているように、国内外の大学が手を組んでいくことが求められています。ジョイント・ディグリー、ダブル・ディグリーもそうですが、新しい時代を迎える基礎をつくるために学術、教育は国境を超えなくちゃいけないと思うんですよね。越智 キャンパス内にアリゾナ州立大学の日本校を誘致しましたが、4年間のうち2年間を広大で、残りの2年間を米国のキャンパスで学びます。この環境を活かし、広大生が学内で異文化に触れる機会を増やしていきたいと思っています。最後に、大学で何を学ぶべきか、お考えを聞かせてください。山極 教員や研究者が頭の中に眠っている未来の構図を学生たちと共有しながら、互いの考えを育んでいく対話の場が大学だと思います。私は京大でずっと「対話を根幹とした自学自習」「自由な学風」を提唱してきました。対話はダイアログであって、勝ち負けを競うディベートではない。そのためにも幅広い教養が必要なんです。越智 学生には学問を楽しみ、いろいろなことにチャレンジしてもらいたいと考え、2017年度から、全学の新入生を対象に、山極先生を含め各界で活躍しているリーダー十数人を招いて特別講義「世界に羽ばたく。教養の力」を実施しています。リベラルアーツを生涯にわたって学び続ける姿勢を、大学生活のスタートで身につけてもらうことが狙いです。本日は楽しい話をありがとうございました。講演後、越智学長から山極氏に「特別招聘教授」の称号が授与された08襲われて知ったゴリラの文化地域文化はイノベーションの源泉今こそ求められる教養の力
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