ブックタイトル東日本大震災・福島原発災害と広島大学

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概要

東日本大震災・福島原発災害と広島大学

64第4章 全学に広がる震災への取り組み①専門家として脳血管障害などの患者さんを診療神戸市立医療センター中央市民病院 神経内科 副医長(当時:大学院医歯薬学総合研究科 病態探究医科学講座 脳神経内科学 医師) 河野智之 私は平成24 年3月19 日から3月30 日の期間、福島県いわき市にあるいわき市立総合磐城共立病院にて被災地医療支援に従事した。 いわき市は人口約34 万人の福島県浜通り地方の中心都市である。平成23 年3月11 日の東日本大震災では震度6 弱を観測し市内の全半壊戸数は約4 万戸に上った。現在は福島第一原子力発電所から約60kmの距離にあることから原発作業員の活動拠点となっており、市内中心部はほぼ完全に復興し人口は震災前よりもかえって増えている状況であった。 本医療支援活動は全国医学部長病院長会議が派遣元となり、平成23 年9月から平成24 年3月にかけて全国の大学を7ブロックに分け、計274 人の医師を東北地方の各都市基幹病院を中心に派遣した。私が派遣されたいわき市立総合磐城共立病院は25 診療科、病床数828 床を有する浜通り地区の基幹病院であり、3診療科(麻酔科、救急科、神経内科)に計76 人の医師派遣を受け入れていた。 活動内容は病棟業務が中心であった。もともと神経内科の常勤医はいない(非常勤医師による週1回の外来診療のみ)ため、多くの神経救急疾患は脳外科と一般内科が分担して診療に当たっていた。派遣期間中に主治医として担当した患者さんは脳血管障害9人、髄膜炎1人、てんかん2人であった。他の市中病院と同様に脳血管障害が多数を占めていたが、幸い本院は回復期リハビリテーション病棟44 床を有しており同病棟専属のリハビリテーション科皆川医師のご協力もあり、非常にスムーズな診療を行うことができた。しかし専門でない分野の診療を余儀なくされている一般内科の先生方の負担は大きく、神経内科常勤医の必要性を痛感した。 派遣期間中の土日祝日はフリーであったため、太平洋沿岸部や猪苗代湖、磐梯山まで足を延ばした。いわき市中心部は太平洋沿岸部から約10km 弱離れており津波の影響は皆無であったのだが、小名浜港周辺まで出向くと、よくテレビで目にする光景が広がっていた。そこに住民の人影は見当たらず、いるのはカメラを手にした他府県から来たであろう人たちだけで異様な静寂に包まれていた。また小名浜から国道6 号線に沿って北上すると、道路の陥没箇所が目立つようになり福島第一原発作業の拠点であるJ ヴィレッジが近付くと警察車両が増え、いまここが非常事態の現場であることを否応なく感じさせられた。 本医療支援活動は私の派遣を以って終了となった。最後に、派遣期間中にご支援頂いた皆川先生をはじめいわき市立総合磐城共立病院の多くの職員の方々に深回復期病棟におけるリハビリ症例検討会の模様 謝する。