ブックタイトル東日本大震災・福島原発災害と広島大学

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概要

東日本大震災・福島原発災害と広島大学

63①専門家として宮城・福島でみてきたこと大学院医歯薬保健学研究院 理学療法学専攻 教授 浦辺幸夫 平成23 年3月11 日に未曽有の大震災がもたらされた。私は阪神大震災後のボランティアを経験していたこともあり、(社)日本理学療法士協会災害対策本部のリハビリテーション支援事業の呼びかけに応じ、4月中旬に1週間、宮城県仙台市宮城野区の避難所で活動を行った。この時はまだ混乱のさなかで、何をどうすればよいか試行錯誤した。地震で20cm あまりも隆起した道路の段差に、自転車で突っ込んで転倒した女子高校生を助けたことが思い出される。 その後、8月末に原発事故の緊急避難準備区域を含む福島県南相馬市にある南相馬市立総合病院で、リハビリテーション診療部門が人員不足にさらされていることが伝えられた。担当のコメディカルスタッフ15人中、震災後に現地に踏みとどまったのは理学療法士3人のみで、私が9月に病院を訪問した時には限界近くまで心身共に疲弊した状態で就労していた。そこで10 月から理学療法士が1人ずつ1週間交代でサポートに入る計画をたて、平成24 年4月までの7カ月間、切れ目なく派遣するために全国から有志を募った。「日本プライマリ・ケア連合学会」からボランティア派遣の交通費支給が決定され、40 人のメンバーが集まった。 今回のボランティアの基本的な約束として「患者さんと病院スタッフに笑顔で対応する」「常勤理学療法士の負担を楽にして不必要な負担はかけない」ということを目標として掲げた。秋のさなかの10 月から病院での診療に加わったが、緊急性の高い患者が優先されたため、いずれも質の高い内容の濃い内容になった。病院管理者側からは住居や食事を含め、きめ細かく配慮をいただき、所期の目標の遂行に邁まいしん進できた。病院近くの被災地の光景を参加者はいずれも脳裏に焼き付けたと思う。 震災時の医療活動には、時期によって求められる役割が異なることを痛感した。初期は、被災者の体力低下の防止を中心に行おうとしたが、混乱のさなかで計画性がなかった。その後、半年を経過した時点での支援は、常駐スタッフの健康を守るという明確な目的のもとに、医療崩壊の危機に直面する医療機関での業務だった。 私たちの支援活動は平成24 年4月で一応区切りとなったが、広島大学では「放射線震災復興を支援するフェニックスリーダー支援プログラム」が大学院教育で始まった。ボランティアに加わった広島大学大学院理学療法学専攻の大学院生がこのプログラムに入学することになった。これを軸に、福島県でのフィールドワークを継続して進め、真の復興に関わっていきたい。気仙沼市近郊の大船渡線唐桑駅横に打ち上げられた巨大船(2012 年3 月撮影)