ブックタイトル東日本大震災・福島原発災害と広島大学
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東日本大震災・福島原発災害と広島大学
62第4章 全学に広がる震災への取り組み①専門家として初めて経験した訪問診療・リハビリ国立病院機構東広島医療センター 整形外科 医師(当時:大学院整形外科学 院生) 新本卓也 平成23 年10 月31 日から2 週間、岩手県立高田病院の被災地医療支援に参加した。「中国四国ブロック被災地医療支援」は、岩手県立高田病院に中四国地方の各大学病院から、輪番制で2週間ごとに整形外科医師を派遣し、被災地医療の支援を行う取り組みである。 高田病院は震災発生から2日後に、避難先にて診療を再開し、7月25 日からは仮設診療所にて診療が行われた。1日平均250 人の総患者数を数え、整形外科の患者数は1日約60 人であった。変形性膝関節症、変形性脊椎症、骨粗鬆症、腰部脊柱管狭窄症などの変性疾患が6 割を占めていた。震災後は仮設住宅への訪問リハビリ、訪問診療などの在宅医療も盛んに行い、震災前と変わらない地域医療を目指している。被災された院長をはじめ、多くの医師は診療所から車で30分ほどかかる住田町の仮設住宅に寝泊まりしており、私も同町の旅館に滞在した。 震災後より大阪船員保険病院整形外科から大澤良之先生が支援に来られ、当時は長期間常勤されていた。私は、通常の外来診療に加えて、訪問診療、訪問リハビリの支援を行った。恥ずかしいことながら、訪問リハビリなどの在宅医療は初めての経験であり、被災地医療の応援に行ったにもかかわらず、多くの事を勉強させていただき、大変恐縮する思いであった。 津波被害を受けた平野部には廃墟と瓦礫のほかは何もなく、比較的被害の少なかった丘陵部に仮設ではあるが、市役所をはじめ、郵便局、飲食店、コンビニエンスストアなどが徐々に設けられ、住民生活の自立を支援していた。今後、新しく建設される高田病院の敷地も決まり、建物の設計図も完成されるなど、病院再建の計画が進んでいる。入院施設を含めた病院の再建は、陸前高田市が自立し、復興する一歩であり、住民の強い願いである。 震災前、陸前高田市にある松原海岸は約7万本の松が防風林として植えられ、風情ある絶景として有名であった。その海岸は津波により壊滅したが、当時は奇跡的に松の木が1本だけ倒れずに残っていた。塩害に遭ったこの松の木も、残念ではあるが、平成24 年9月12 日に切断された。 私が一本松を訪れた際も、保存は困難であるとの見解が発表され、おそらく切断はやむを得ないだろうとのことであった。その凛と立つ姿は、震災の恐ろしさを物語る以上に、町の復興を祈り、優しく市民を見守る、希望の記念碑のように思えた。一緒に支援活動に当たった医師、看護師と。中央が筆者