ブックタイトル東日本大震災・福島原発災害と広島大学

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概要

東日本大震災・福島原発災害と広島大学

50第3章 被災地に寄り添う④縁の下を支えて平成23 年3 月14 日  DMAT と緊急被ばく医療チームへの後方支援任務が伝えられた。15 日  災害時用の備品類・水・食料を中心に、タイヤが歪むほど積み込んで16:30 大学病院発。「翌朝までに千葉の放医研に到着せよ」という指示。同行は病院の都田賢吾さん。大津あたりだったか、大型の余震が静岡を震源に発生し、東名・中央道ともに通行止めとの情報。諏訪あたりで中央道開通の情報を得て、中央道から東京都内へ。16 日 5:30 千葉・放医研に着。11:30 支援物資と福井大学の医師2人を乗せて放医研から福島に向かう。災害支援と緊急車両のみが通行を許される東北自動車道は修復したばかりで、高速で走る車が時々ジャンプする。16:30 福島県庁横の防災センターに着。本学医療チームに物資を届け、宿泊所(杉妻会館)に入る。ロビーのテレビからは、福島第1原発が次々と爆発している映像が流れてくる。少し不安。17 日  7:00 起床、開通した東北新幹線那須塩原駅まで医師を送る。うっすら降り積もった車の雪を素手で払うと、ラジオからは雪に触れるなとの情報。7:20 発、9:10 那須塩原駅着。見送りの後、福島へUターン、12:30 着。宿にて宿泊料及び部屋の確保交渉。14:30 福現地で物資・人員輸送に当たる大学院生物圏科学研究科 支援室長(当時:財務・総務室リスクマネジメントグループ リーダー) 藤岡孝男島県庁発、放医研医師2人を放医研に送る。19:00 放医研着。被ばく測定・除染作業を受け、21:00 ゲストハウスに宿泊。深夜に余震。18 日 広大からの医療材料の到着を待って、14:00 放医研発、福島県立医科大学へ向かう。千葉市内にて、現地では入手できないカップラーメンを調達。20:00福島県立医大着。学長に医療材料を手渡し、20:30 宿泊所に着。19 日 11:30 発、交替要員迎えのため那須塩原駅に向かう。中国新聞記者同乗。13:50 交替の医師・職員と合流、宿泊所16:20 着。21:00 発、帰着する医師と自らの移動のため、宇都宮市内に2 台の乗用車で移動(福島への帰路運転の交代要員2 人同乗)。23:55 宇都宮駅前ホテルに着、宿泊。20 日 9:32 新幹線にて宇都宮発、15:30 広島大学病院着。放射線測定、報告会終了後、解散。(任務終了) 以上が私の行動記録である。 現地の様子もよく分からない、どこで寝られるかも分からない、原発のこともある。ただ、長距離運転にも慣れているし、どこでも寝られるし、放射線が怖いこともあまり知らない、こんな私が適任だろうと思い込む一方で、なんの取り柄もない自分が、誰かのために何かのお役に立てるいい機会だと思い、自信は無かったが、何も聞かずに快諾した。折しもリスクマネジメントという職務上、いくらか防災対策に関わっていたこともあり、非常にいい経験が出来たと思っている。一日も早い復興を、心から祈念する。物資を満載して広島大学病院を出発する公用車(平成23 年3月15 日)