ブックタイトル東日本大震災・福島原発災害と広島大学

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概要

東日本大震災・福島原発災害と広島大学

46第3章 被災地に寄り添う②住民の一時立ち入り支援被災者の立場での支援心掛ける大学院教育学研究科 運営支援グループ 総括主査(当時:監査室 主査) 西岡照夫 平成23 年6月から7月にかけて医療班のスタッフとして、立入制限地区に入る住民、スタッフの健康管理(主に問診票の配付と回収)及び、立入制限地区から帰ってくる住民、スタッフの受入業務に従事した。 一時帰宅支援について、私が派遣された頃から一時帰宅で受け入れる住民の方々の人数が増え、2町合わせて総勢400 人前後、分乗するバスが20 台という大規模なものとなった。 そのため少ない医療班スタッフが短時間で全員への問診、分乗するバスごとに情報の取りまとめ、同行するスタッフ及び救急隊員への指示(持病などで配慮が必要な住民の方の氏名など伝達)をすることになった。バスが出発する前の限られた時間でその全てを完了させなければならず、まさに最前線の現場であった。 また、一時帰宅の中継基地として使用していた体育館では物品なども不足しており、なければないなりの臨機応変な対応が必要であった。 立入制限地区に一時帰宅された住民の方々が中継基地に帰ってくる際、放射能に汚染されたチリなどが防護服に付いている可能性があるため、帰還時の受入の際は、われわれスタッフも防護服の着用が必須とされた。 私が派遣された時期は6?7 月と夏の最盛期であったため、着衣の上から防護服着用しての作業はまさにサウナの中にいるようだった。いったん住民の方々の帰還・受入が始まると一気に400 人近い人員の受入・確認作業が始まるため、水分補給もできなくなり体力的に厳しい状況であった。 避難住民の方々は、震災による原発事故が原因で避難せざるを得なくなった立場であり、自分の家に自由に帰れない、自宅に入るのに防護服を着用しなければならない、という理不尽な状況であることを踏まえて、被災者の立場に立った支援を心がけた。 しかし、立入制限地区に入ったバスが立て続けて入ってくると、目の前の仕事をこなすので手一杯になった。事務的な対応に陥りやすく、毎日反省と翌日その修正の繰り返しであった。 全体の作業(特に帰って来たバスの誘導?降車後の人とモノの誘導など)で当日ボトルネックになった部分を中心に段取りを見直し、翌日そこを修正し日々効率化を図って対応した。これは日ごろの業務改善にも応用できるスキルである。 またDMAT やREMAT と一緒に仕事ができたことは、今後の仕事をする上での良い経験となった。 彼らは実にシステマチックに行動し対処して、当日の作業が全て終了すると風のごとく撤収していった。防護服を着用した筆者住民やスタッフの人数などを確認するチェックリスト