ブックタイトル東日本大震災・福島原発災害と広島大学

ページ
53/84

このページは 東日本大震災・福島原発災害と広島大学 の電子ブックに掲載されている53ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

東日本大震災・福島原発災害と広島大学

43②住民の一時立ち入り支援荷物抱え戻る住民に「お帰りなさい」病院看護部 看護師長 西中カフミ 東日本大震災直後、地震や津波の映像よりも先に目にしたのは、慌ただしくDMAT の派遣調整を行う同僚看護師長の姿だった。大変なことが起きたと思った。すぐに、緊急被ばく医療チーム派遣による支援活動が始まり、4カ月経った平成23 年7月22 日?26 日、住民の一時立ち入りに参加することになった。 東京電力福島第一原発の事故を受け、避難指示が出ている警戒区域20km 圏内の住民に対し、滞在時間2時間を制限とした一時帰宅の支援である。支援内容は、一時帰宅する住民の出発前の健康管理と帰還後のスクリーニングおよび健康管理だった。 私たちの医療チームは、事務職員と放射線技師、看護師の3人からなり、中継会場での5日間の活動に携わることになった。毎朝4 時に起き、身支度と体調を整え、福島県庁へと向かった。その間、互いの体調を気遣いながら自分たちの動きを確認し、その日初めて会う住民が何事もなく帰宅できることを願う会話が、日課となった。 一時立ち入り当日の朝、避難住民は避難所もしくは避難先より中継会場に集合し、防護服と線量計を装備し警戒区域内までバスで移動した。外気温30 度の中、防護服を着用しサウナ状態で動くこともままならない住民約400 人を、毎日見送った。自宅に2 時間程度滞在し、持ち出せる荷物を抱えながら帰還する住民に対応しながら、全員に「お帰りなさい」の言葉をかけた。汗だくで泥だらけになっていても「大丈夫、ありがとう」と笑顔を返す住民に静かな強さを感じた。住民は放射線汚染線量の測定を受け安全を確認されたのち、それぞれの避難場所へ全員無事に帰って行った。 特に印象に残ったのは7月24 日の大熊町の慰霊祭だった。それまで対応してきた住民と違い、供養の花束を手に自宅のあったであろう方向へ出発し、慰霊祭を終えると何も持たずに帰還した住民に、かける言葉に詰まったのを覚えている。 安全と迅速さを求められる支援活動を支えたものは、「連携」だったと思う。被災地へ出発する前のICU・高度救命救急センター看護師たちからのレクチャーをはじめ、前任者からの引き継ぎ、中継会場での他のスタッフとの交流、何より出発当日顔を合わせた医療チームメンバーの支え、すべてが活動につながった。 「広島大学はどの医療チームも連携がとれている。ぜひ他大学にこの連携を伝えてほしい」と、医療班統括の厚生労働省や経済産業省の職員から言われた。今回の経験を生かした災害研修や訓練は必要であり、当院においても災害を想定した具体的な対策と連携の強化が重要であると思う。住民一時帰宅事業での打ち合わせ風景(中継会場にて)