ブックタイトル東日本大震災・福島原発災害と広島大学

ページ
52/84

このページは 東日本大震災・福島原発災害と広島大学 の電子ブックに掲載されている52ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

東日本大震災・福島原発災害と広島大学

42第3章 被災地に寄り添う②住民の一時立ち入り支援貴重な経験踏まえDMAT に病院診療支援部 診療放射線技師 山岡秀寿 私が広島大学緊急被ばく医療チームとして初めて派遣されたのは平成23 年4月4日の第7 班である。当時は災害急性期から慢性期への過渡期で、現地の医療ニーズも日々変化していた。福島県自治会館・オフサイトセンターにて、さまざまな機関より随時提供される情報を確認し、状況の把握、本部への正確な連絡に最大限努力したことを覚えている。その後、第13、22、27、34、37 班にも参加した。 私が一時立ち入りに参加したのは、6月4日(田村市古道体育館)第22 班の時からである。一時立ち入りプロジェクトが開始されてから2週間が過ぎたころだった。まだまだ手探りの状況で、現場での臨機応変の対処が要求された。一時立ち入り最大の目的は住民の方々に安心・安全を提供するもので、微量の放射線汚染を検出することではない。他機関の方の中にはそれを理解しておらず、現場が混乱することもあった。しかし、有志で集まった方が多いこともあり、各機関が協力して1人の傷病者を出すこともなく無事終了した。 8月26 日、プロジェクト初となる福島第一原発3km 圏内住民の一時立ち入りがあった。これまで数回一時立ち入りには参加したが、今までとは雰囲気が違っていた。大勢のマスコミが住民に同行したため、中継ポイントである広野町の中央体育館は異様な緊張に包まれていた。残暑の中、蒸し暑いタイベック防護服を身に着けた住民の方々は汗だくになりながらも無事に戻ってきた。1人の女性が体調不良を訴えたが、救護所で手当てを受け無事に帰宅された。大きなトラブルもなくスタッフは皆、安堵の表情を浮かべていた。 このような貴重な経験を積んで、私は災害医療に興味を持ちはじめた。派遣から数カ月後、日本DMAT隊員養成研修を受講し日本DMAT 隊員となった。今後起きると想定される災害に対応すべく、チーム一丸となりスキルを磨いている。 災害時においてチーム医療の重要性はもとより、官民問わず他機関との連携が非常に重要である。それはお互いの尊敬と信頼の念がなければ成立しない。一時立ち入りバス到着口(南相馬市馬事公苑にて)