ブックタイトル東日本大震災・福島原発災害と広島大学
- ページ
- 48/84
このページは 東日本大震災・福島原発災害と広島大学 の電子ブックに掲載されている48ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 東日本大震災・福島原発災害と広島大学 の電子ブックに掲載されている48ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
東日本大震災・福島原発災害と広島大学
38第3章 被災地に寄り添う②住民の一時立ち入り支援 原発事故発生から1カ月目に緊急被ばく医療チーム第9班の班長としてオフサイトセンターに派遣された。ちょうどその頃、被災住民の強い要望を受けて、国と県、関係市町村は協力して住民の一時立ち入りを行うことを決定した。 オフサイトセンターではそのためのマニュアル作成が進められており、私もこれに加わった。自宅立ち入りに際しては、防護服の着用が義務づけられて飲食が禁止されるなど、放射線管理区域の規約に準じた対応が盛り込まれた。放射線管理区域とは、放射線実験施設のような放射線量が高く、特別な管理を必要とする区域を指す。震災前は何の不安もなく生活できていた地域が放射線管理区域と同じように見なされることは、日本人の一人として大変残念なことであった。 一時立ち入りは平成23 年5 月下旬から実施され、私は6 月と8 月に業務に従事した。広島大緊急被ばく医療チームは医師と放射線技師、看護師、事務職員最も懸念された熱中症原爆放射線医科学研究所 放射線ゲノム疾患研究分野 教授 松浦伸也で構成されており、一時立ち入りの出発点となる中継基地において、厚労省の医療班統括のもとで主に住民の健康管理を担当した。 私が派遣された中継基地には避難先から200 人を超える住民が集まってきており、原子力安全・保安院から説明を受けた後、必要な装備を身につけて十数台の専用バスで居住地域に向かった。私たちは、バスの出発までに立ち入り者のリストを作成し、全員の問診票をチェックして住民の方々が体調不良を起こさないように細心の注意を払った。バスが出発した後は、放射線サーベイ会場を設営して住民の帰還に備えた。午後に警戒区域からバスで戻ってくる住民を、サーベイ会場にスムーズに誘導することも重要な仕事であった。 猛暑の中、防護服を身に付けた住民が熱中症を発症しないかが最も懸念される点であった。住民の体調確認と放射線サーベイを行って、持出し物品の放射線汚染検査を行った。一部の住民に気分不良が見られたが、重篤な患者の発生はなかった。住民が避難先に戻られ、会場が汚染されていないことを確認して、私たち緊急被ばく医療チームの任務は終了した。 出発前の健康チェックで、持病のために一時立ち入りを遠慮していただいたケースがあった。帰宅を楽しみにされていた住民の方には大変申し訳ない結果であり、事前の十分な説明が望まれた。 一年後、再び避難区域を訪れた。車窓から一面の草原がはるか山すそまで広がって見えた。そこは以前、水田や畑などの農地であったことを知った。放射線災害からの一日も早住民の帰還に備える広島大学スタッフ い復興を心から願う。