ブックタイトル東日本大震災・福島原発災害と広島大学

ページ
47/84

このページは 東日本大震災・福島原発災害と広島大学 の電子ブックに掲載されている47ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

東日本大震災・福島原発災害と広島大学

37②住民の一時立ち入り支援住民一時立ち入りを継続支援福島県立医科大学 医学部 放射線生命科学講座 教授(当時:病院血液内科 講師) 坂井 晃 私の所属していた原爆放射線医科学研究所の血液・腫瘍内科では、緊急被ばく医療チーム第2 班のメンバーとしてまず三原圭一郎助教(現・血液内科講師)が福島に入り、続いて木村昭郎教授が交代され、その後を私が引き継いだ。滞在期間は1人4、5日程度であった。私が福島に入ったのは平成23 年5月の連休前で、神谷所長専用の部屋が福島県立医科大学に開設され、オフサイトセンターにあった広島大学の荷物は連休中にそちらへ移動した。 そのころ、福島原発事故による避難住民の一時立ち入りに向けた支援活動を行う計画が発表され、広島大学も参加することになった。その後は事務、放射線技師、看護師、医師の4人1グループで支援活動が継続されていた。活動の内容は、福島第一原発からちょうど20km 圏外に位置する3つの体育館を中継基地として、防護服を着用し2 時間の帰宅が許可された1家族2人の出発前の問診に始まり、到着後の衣服と荷物の放射性物質付着のスクリーニングおよび体調チェックであった。 バス1台に20 人程度の住民が乗り、15 ?20 台のバスがそれぞれの地区に分散して出発し、2時間の作業を終えて戻るという行程であった。広い体育館であれば1回で出発前の説明や防護服の着用等が可能であったが、そうでなければ2回に分けて行われた。昼前には全参加住民の出発が終了し、午後2時ごろから徐々にバスが到着し始めた。 1家族当たり大きな袋2 つまで(東電から支給)の持ち帰りが原則だったが、予備の袋を用意する家族も多々あった。それぞれの中継基地には自衛隊の除染用テントが常備され、防護服を着た自衛隊員が待機していたが、幸い荷物や防護服から高い線量が計測されることはなかった。 ちょうど梅雨時から支援活動が始まったため、防護服を着た上での作業は帰宅住民の方には大変だった。一方で戻って来られた住民の方々をホットエリアで受付しスクリーニングする事務、放射線技師、看護師も汗だくで業務を遂行されていた。 また参加される住民の方には高齢者が多く、高血圧や糖尿病の持病をお持ちの方も多いことから熱中症が危惧されたが、幸い東電関係者のサポート体制が行き届いており、医務室へ運ばれる方はほとんどいない状況であった。 その後、長袖の場合は防護服の着用は必要でなくなり、少しずつ服装やスクリーニング方法も簡素化されていった。8月の盆前にはだいたい1回目の一時帰宅が終了し、その後は自家用車での一時帰宅が可能になった。 一日でも早く、避難された方が元の生活に戻られることを祈念する。福島県立医大附属病院にある緊急被ばく医療棟の処置室