ブックタイトル東日本大震災・福島原発災害と広島大学
- ページ
- 40/84
このページは 東日本大震災・福島原発災害と広島大学 の電子ブックに掲載されている40ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 東日本大震災・福島原発災害と広島大学 の電子ブックに掲載されている40ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
東日本大震災・福島原発災害と広島大学
30第2 章 ヒロシマからフクシマへ④ J ヴィレッジを診療拠点に 私は平成23 年4月8日から12 日まで第8班として、J ヴィレッジ(JV)の医療斑の立ち上げに取り組むことになった。JV は、福島第一原発(1F)から約20km と避難警戒区域との境界にあり、原発事故後に東電、自衛隊が事故に対応する「現地調整所」の最前線の拠点として運用されていた。そこでは、1Fに行く作業員の更衣および帰還後の放射線のスクリーニングや除染などが行われていた。医療拠点としては、後方病院へのトリアージポイント機能が求められ、警戒区域内で発生した救急患者は東電の車両にてJV まで搬送され、ここで除染、トリアージ後に消防の救急車や自衛隊ヘリコプターなどでいわき市や福島市に搬送される手順となっていた。 JV の医療班は、緊急被ばく医療班、東電医療班、ミッションの気持ちの引き継ぎも大切病院総合内科 総合診療科 講師 溝岡雅文自衛隊医療班で構成されていた。被ばく医療班は日本救急医学会から派遣された統括医師1人と広大職員3人(医師1人、看護師1人、事務1人)からなり、おもに警戒地域で被ばくした作業者への初期対応を任務とした。東電医療班(医師1人、看護師2人)はJV内での作業員の体調不良への対応、自衛隊医療班は自衛隊員の対応と分担していたが、緊急事態の場合には全班員が協力して対処することとなっていた。 被ばく医療班の拠点は4月9日、それまでのJV 会議室からJV 附属メディカルセンター内に移動した。数日前まで薬品や備品が散乱していたメディカルセンターはかなり整理整頓されていたが、上水道・下水は使えなかった。まず施設内の医療資源と、搬送される救急患者のトリアージ手順などを確認しながら、今後の診療に必要な物品を拾い上げて確保することから始まった。 この5日間に1Fから2人の作業員が緊急搬送された。熱中症、膝の捻挫と軽症であったが、発生からJV を介して後方病院到着までに3~4時間を要した。4月11 日には大震災後最大の余震(震度6)が起こり、JV は停電し通信回線が途絶して陸の孤島化した。電源の回復とともに通信回線などは数時間で復旧したが、複数の傷病者が発生していれば電気、水、通信手段もない中で十分な対応はできなかったと思われる。 反省点の一つは私の準備不足であった。災害医療、被ばく医療の基本知識が十分でなかった。今回、初めて被災地で活動してみて、病院内とは全く異なる災害医療の現場に戸惑いを感じた。また、情報の共有・引き継ぎの大切さも実感した。複数の支援メンバーが日々入れ替わる中で、統括責任者のもとにチームとして機能していくためには、状況だけではなくミッションも含めた気持ちの引き継ぎも重要であることを再認識した。 最後に大震災で亡くなられた方のご冥福を祈るとともに、被災地が一日も早く復興し、原発災害が終息することを願っている。4/12 J ヴィレッジ メディカルセンター前にて4/10 自衛隊ヘリCH47 患者搬送演習(統括郡山医師と筆者)