ブックタイトル東日本大震災・福島原発災害と広島大学

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概要

東日本大震災・福島原発災害と広島大学

28第2 章 ヒロシマからフクシマへ③住民の被ばくスクリーニング常に意識した被ばく管理病院診療支援部 診療放射線技師 穐山雄次 小雪舞う季節の平成23 年3月から猛暑の7月までの間、広島大学緊急被ばく医療チームの一員として活動を行った。自治会館では原発事故後の混乱した状況から時間の経過とともに活動内容が変化した。 はじめに福島へ活動した3月29 日は、道路がひび割れ、ガソリンスタンドには長蛇の列が並び、崩壊した家屋など震災の爪痕が残っていた。班員の受ける被ばく線量を管理することに最も気を遣った。J ヴィレッジで活動される谷川攻一先生の班にも毎朝電話し、ポケット線量計の値を確認した。 自治会館で活動を行うことになっていたが、前班の隅田博臣技師は甲状腺スクリーニング活動に参加しており、何をすればよいか分からない状況であった。ここでの放射線技師の仕事は何を重視して行うべきなのか、情報を収集しながら考えた。主な活動内容は避難地域にいた小児の甲状腺スクリーニングを引き継ぐとともに、本日分の被ばくスクリーニング実績を集計し結果を関係者へ報告すること、明日のスクリーニング班編成の準備を行って朝晩の定例会までにまとめることであった。 小児甲状腺スクリーニングでは、飯舘村で実際に0歳からのサーベイを行った。マスク姿の子どもたちは家の外で遊べなかった。心配されている母親の話を聞くと胸が痛かった。 期間中、川俣町での被ばくスクリーニング活動にも参加した。警報が鳴って着のみ着のまま避難し、車で自宅に戻って荷物を持ち帰ってきた人も多かった。被ばく線量のサーベイが急増していた。 2回目の活動の時、福島第一原発から20km 圏内の避難地域は国から「20km 圏内警戒区域」として立入禁止が発令されていた。自治会館では住民の被ばくスクリーニングは減少したものの、警戒区域になる前に持ち出した車や荷物が多くなった。 住民の警戒区域への一斉立入計画についての対応や帰宅時のスクリーニングの会議が行われていた。住民に配布する被ばくに関するQ&A の作成にも協力した。自治会館でのわれわれの仕事も状況によって変化し、常にそれに対応していかなければならないことが難しかった。 今回の活動では、置かれている立場と状況をいち早く察知すること、連絡と報告は確実に行うことの重要さをとても感じた。また、放射線技師として原発事故があった福島で緊急被ばく医療の活動を行うにあたり、被ばくの管理を常に意識して活動することができ住民の被ばくスクリーニング活動 たと思っている。