ブックタイトル東日本大震災・福島原発災害と広島大学

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概要

東日本大震災・福島原発災害と広島大学

27③住民の被ばくスクリーニング子どもたちの衣服汚染に心痛む病院診療支援部 診療放射線技師 安部伸和 放射線技師である私が広島大学緊急被ばく医療派遣チーム第2班の一員として福島へ向かったのは、震災発生から5日後の平成23 年3月16 日である。福島第一原発より放射性物質の大量放出があったとされる翌日であった。当然の如く現地からの情報は錯綜し、何をすべきかを把握できぬまま、不安を抱きながらの出発となった。しかし、チームの一員として放射線技師が任命されたのは今回が初めてであり、大きな使命を感じていた。 夕方、雪の舞う福島市内に入り、われわれの本拠地となる緊急被ばく調整本部が設置されている福島県自治会館へ到着した。本部に入るなり、全国各地より集まった皆々の緊張感に圧倒されたのを今でも覚えている。この時、福島市は原発より約50km 離れているにもかかわらず、屋外の空中線量率は10 μ Sv/h と高い値を示していた。 われわれのチームに与えられた任務は、避難住民、地域住民の汚染スクリーニングおよび救護であった。翌17 日から19 日まで3日間、福島市、郡山市、川俣町などの避難所、スクリーニング会場で約1,100人のスクリーニングを行った。避難所には沿岸部より着のみ着のまま避難してきた方々も大勢いた。幸い当時のスクリーニング基準で本格的な除染が必要である方はいなかったが、軽度汚染、主に衣類に汚染がある方が少なからず存在した。 印象的だったのは、小学生ぐらいの姉妹をスクリーニングした時である。二人ともお尻部分だけに汚染があった。ズボン、パンツを脱いでもらって再計測すると値は大きく減少した。おそらく放出された放射性物質が雪と共に地面に落ち、その濡れた大地に並んでお尻を付けて座っていたのであろう。その姿を想像すると胸が熱くなった。 本部の指示ではあるが、われわれはタイベックスーツに身を包み、マスク、手袋等を装着した重装備で作業を行う。住民の方々は放射線、放射能という目に見えないものに対し恐怖を感じ「(私は)大丈夫ですか?」という問いを投げかけてきた。われわれはもちろん「大丈夫ですよ」と答えるが、完全防備したわれわれから発せられる言葉は果たして信用されていたのだろうか? 私はこの震災が起こる一年ほど前より緊急被ばく医療に関わり、自分なりに真摯に取り組んできたつもりである。しかし心のどこかで「起こらないだろう」と思っていたのも否定できない。西日本唯一の三次被ばく医療機関の広島大学の放射線技師としてできることはまだまだあるはずである。想像したくはないが「起こるだろう」という考えのもとにわれわれのできることを一つ一つ繋げていきたい。避難所でのスクリーニング活動