ブックタイトル東日本大震災・福島原発災害と広島大学

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概要

東日本大震災・福島原発災害と広島大学

26第2 章 ヒロシマからフクシマへ③住民の被ばくスクリーニングゼロからの検査体制構築病院診療支援部 副診療支援部長 隅田博臣 私が福島へ最初に派遣されたのは平成23 年3月25 日である。発災から約2週間過ぎていたが被災者への対応は混乱が続いていた。当初の任務は各避難所で行われていたスクリーニングの情報整理と測定者への助言や問題点の報告であった。 重要な問題の一つが131I による小児の甲状腺被曝だった。3月24 日、川俣町で甲状腺の線量測定が66 人の小児に行われ「問題ない」と報道された。しかし測定場所のバックグラウンド(BG)が非常に高く、「測定精度の信頼性が低い」との指摘もあった。 放医研で検査条件の見直しが行われ、文部科学省、経済産業省、広島大学が共同で甲状腺サーベイシステムを構築することになった。広島大学から田代聡教授、藤本利夫専門員と私が担当した。SPEEDI の放射線分布により飯舘村(当時の空中線量10 μ Sv/h)、川俣町(同6 μ Sv/h)、いわき市(同1.5 μ Sv/h)に住む0 ~ 15 歳の小児を検査対象とした。 提示された検査条件は非常に厳しかった。当時の空中線量は福島市でも3.5 μ Sv/h と高く、BG:0.2 μSv/h 以下の測定条件を満たす環境を探す作業は困難を極めた。 26 日、いわき市に向かった。環境設定(調査)に当たっては鉄筋の施設で建物の中心に近いことなど、フォールアウトの影響を考慮した条件を重視した。幸い、住民の一般スクリーニングを行っていたいわき保健所の屋内を利用できた。測定者に手順とポイント(測定器の設定条件等)を説明し、数名の測定を確認して保健所を後にした。いわき市では137 人を検査した。 翌27 日は川俣町で施設探しを行った。最有力候補として公民館に目星を付けたが、地震で被災して閉鎖され、物資置き場となっていた。このため関係各所にお願いして許可いただいた。しかし公民館内で条件にかなった場所は少なく、ようやく二階廊下に設営できた。多くの被災者(631 人)を検査するため効率的な設営と役割分担を明確にした。検査は28 日より核物理グループの協力で行った。 29 日より飯舘村の検査環境調査である。村役場で説明し了解を得た。その代わり公共施設内で環境測定するよう求められた。事前に村役場内を測定した結果、議会場裏が唯一、検査条件をクリアした。村内で検査可能な施設を探したものの非常に空中線量が高く、ほかにクリアする施設はなかった。そこで議会場内に検査体制を構築した。 役場関係者にお願いして数人の検査を試行した。非常に厳しい条件だったが、手順を穐山技師に引き継ぎ帰途に就いた。飯舘村では315 人の検査が行われた。 ゼロからの検査体制構築は多くの方との協調が重要小児甲状腺スクリーニングのトライアル風景(飯舘村役場にて) であると痛感した。