ブックタイトル東日本大震災・福島原発災害と広島大学

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概要

東日本大震災・福島原発災害と広島大学

23②緊急被ばく医療調整会議の立ち上げマニュアルなく手探りで活動病院看護部 高度救命救急センター 看護師 木元奈津子   テレビで地震のニュースを見た私は「大変なことが起こっている」と人ごとのように考えていた。緊急被ばく医療チームの一員として現地に行くことを問われ、瞬間に「行きます」と答えたが、実感がわかず派遣活動で自分が何をすべきなのか、何ができるのか、何も考えられないままの出発だった。 平成23 年3月12 日から活動を開始した。地震、原発事故発生から数日しかたっていないこともあり、千葉の放医研、福島市の対策本部、保健センターなどはどこも混乱をきたしていた。ライフラインは機能せず、電話もつながらない状態で、原発や避難住民の状況などがつかめないまま現地に入った。 福島では緊急被ばく対策本部が開設されていた。混乱状態が続いていたため、私は携帯電話のニュースから情報収集をすることが役割となった。そのような中でスクリーニング活動に同行し、避難してきた人々と接した。何が起こっているか分からないまま、必死に状況を受け入れようとしている被災者の姿が印象的であった。福島県立医大で高線量被ばく者の治療受け入れ体制が整い、被ばく対策本部で待機していたが、現地にいる間に被ばく者を受け入れることはなかった。 派遣活動では原発の状況に応じて24 時間流動的な活動となったため、休息の時間がとれず緊張の日々であった。活動マニュアルなどもなく活動期間も決められていない状況で、精神的にもつらい日々が続いた。 福島市内の建物は被害が少なく地震の影響が感じられないほどであった。しかし原発に近づくにつれ、倒壊した家屋や道路が寸断されており、原発から5km 以内は車で近づくことができなかった。改めて地震の被害の大きさに驚き、怖くなった。今までは未曽有の災害を人ごとにしか感じることができなかったが、福島での経験を通して身近に感じることができ、自分の人生の中で貴重な経験になった。 今までの緊急被ばく医療における看護師の役割は、被ばく患者受け入れ、除染の準備、入院時の対応が主であり、病院での被ばく患者受け入れ活動を想定したものだった。初めての派遣活動に加え、突然の派遣であったため、活動に関する知識はほとんどなく、現地の状況に合わせた手探りの活動となった。今後は派遣活動を視野に入れた、緊急被ばく医療体制を整えていく必要があると考える。避難住民のサーベイ受け入れ前の様子