ブックタイトル東日本大震災・福島原発災害と広島大学
- ページ
- 32/84
このページは 東日本大震災・福島原発災害と広島大学 の電子ブックに掲載されている32ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 東日本大震災・福島原発災害と広島大学 の電子ブックに掲載されている32ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
東日本大震災・福島原発災害と広島大学
22第2 章 ヒロシマからフクシマへ②緊急被ばく医療調整会議の立ち上げ 要介護の患者を保健所でスクリーニング病院看護部 ICU 副看護師長 竹岡直子 平成23 年3月11 日に発生した東日本大震災及び東京電力福島第一原発の事故を受け、翌12 日、緊急被ばく医療チーム第1班のメンバーとして出発した。 最初に向かった千葉県の放射線医学総合研究所(以下放医研)では、原発事故の情報収集と対応をするため対策本部が立ち上がっていた。しかし、福島第一原発の近くにある緊急事態応急対策拠点施設(オフサイトセンター)との連絡がほとんど取れない状況で、現状把握に混迷をきたしていた。放医研と広島大学緊急被ばく医療チームとして、どこで何を行うべきかという議題で、緊迫した会議が夜遅くまで続いた。 翌13 日、福島市自治会館の災害対策本部へ向かった。福島第一原発から半径20km 圏内の施設・病院の患者、住民がまだ避難できていないという情報を受け、14 日明け方、南相馬市の相双保健所に向かい、保健所のスタッフと共にスクリーニングを行った。避難とスクリーニングのためにバスで次々と搬送されてくる患者の多くは、高齢者で要介護や寝たきりの状態であったが、医療者の付き添いはわずかであった。なかには移動中、けがをしている患者の対応も必要であった。私たちは被ばく医療チームとして赴いたが、現状は医療対応が必要だと感じた。スクリーニングは早朝から深夜まで続き、保健所のスタッフは自分も被災しているにもかかわらず、患者や住民のために対応していた。 15 日からは福島市の県自治会館に設置された緊急被ばく対策本部での会議に参加した。そこでは全国から医療班が集結し連日、住民のスクリーニングの現状把握、住民の不安や問題への対応を検討する会議が行われ、被ばく対応マニュアル等が作成された。また、福島第一原発内での高線量被ばく者の対応については、福島県立医科大学の受け入れが整ったため、私たちは大学に行き、除染ルーム準備状況、患者搬送に際しての行動確認を行った。 緊急被ばく医療チームとして活動するにあたり大変だったのは、原発事故の情報が伝わってこないことだった。私たちの活動中は高線量被ばく者の対応はなかった。しかし、南相馬の保健所に行き、多くの高齢者や、寝たきりの患者に十分な医療提供がなされていない状況をみて大災害、原発事故の凄まじさを痛感した。 あの時、福島の人たちは、大きな不安を抱えて精神的、身体的に大変な状況の中、支え合い乗り越えようとしていた。それに対し私たちは十分な対応ができなかったと感じている。今回の原発事故の現状をみんなで共有し、被ばく医療に対して今後は何が必要なのか、話し合っていく必要がある。マイクロバスで避難してくる高齢者や、施設の患者