ブックタイトル東日本大震災・福島原発災害と広島大学
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東日本大震災・福島原発災害と広島大学
20第2 章 ヒロシマからフクシマへ②緊急被ばく医療調整会議の立ち上げ放射線生物学の研究者として自問した日々原爆放射線医科学研究所 分子発がん制御研究分野 助教(当時:同放射線細胞応答研究分野) 飯塚大輔 広島大学緊急被ばく医療チームの第1班として平成23 年3月12 日~ 17 日、放射線医学総合研究所(放医研)・福島県自治会館・福島県立医大にて放射線被ばくを疑われる患者の搬送などに関わるサポート、情報収集とそれらの広島大学への伝達、福島県内の各避難所等で行われていたスクリーニング作業に関する自治会館でのサポートを行った。 東日本大震災発生翌日の3月12 日に前述のチーム第1班として派遣された。原子炉の状況が刻一刻と変化する中での活動であった。状況が全くと言っていいほど見えず、「原子炉が最悪の状態に陥った場合、自分たちは一体どうなってしまうのか」と不安を抱えながらの活動であった。また、放医研、自治会館ともに現場は大変混乱しており、その中で自分に何ができるのか分からず、困惑する場面も多かった。千葉市の放医研から福島までは公共交通機関が不通だったため、自衛隊のヘリで移動するなど非日常の連続であり、チームとしての活動期間中は常に気が張り詰めていたのを今でも鮮明に覚えている。 反省すべき点は多々あるが、最も重要なポイントは、このような原子力災害時に「医療行為ができない者に何ができるのか」「どのような知識が必要となるのか」を日ごろから考えていなかったことだと痛感している。 政府の設定した避難区域の拡大に伴い、多くの住民が避難を余儀なくされた。その中で要介護者や病人など弱者の避難が結果的にうまく機能せず、亡くなった方もいたと現地で活動していた時に聞いていた。福島第一原発のオフサイトセンターがほとんど機能しないまま、福島市内に移されたことなど、現実の災害を想定しなかった危機管理の甘さが、今回の事故の根幹に存在していると思う。 今後、このような事故が起こることがあってはならないが、原子力発電がすぐに廃止にならない以上、政府の危機管理体制の改善が最も大事であると活動を通じ強く感じている。放射線生物学を志す者として、福島原発事故で日本国民の関心事となった放射線の長期被ばくによる生物影響について、どのような形であれ貢献していきたいと思っている。福島県立医大病院汚染検査室での搬送された患者の汚染状況の確認(左手前が著者)