ブックタイトル東日本大震災・福島原発災害と広島大学

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概要

東日本大震災・福島原発災害と広島大学

19②緊急被ばく医療調整会議の立ち上げ 平成23 年3月12 日~3月17 日、広島大学緊急被ばく医療チームの第1 班派遣メンバーの一員として参加した。谷川攻一教授をリーダーに医師1 人、看護師2人、放射線専門家1人が12 日午後の新幹線に乗り東京駅からJR 総武線経由で放射線医学総合研究所(放医研)に向け出発した(細井義夫教授は放医研で合流)。到着後、直ちに放医研原子力災害対策本部の会議(連絡会)に参加し、共同で文部科学省原子力災害対策支援本部(EOC)などからの派遣要請にどう対処するかについて打ち合わせを行った。 メンバーはそれぞれ13 日と14 日に自衛隊ヘリで福島市に移動したが、私は12 日から6日間放医研に残り、放医研スタッフと共にEOC や現地オフサイトセンター(OFC)から入る情報収集に携わるとともに、必要な資材・人材の確保と搬送方法の検討や各機関からの要請にどう対処するかについて意見交換した。特に、放医研だけでは賄え切れない派遣者用非常食などの緊急防災物資や放射線防護用資材の供給方策について広島大学緊急被ばく対策委員会(緊急被ばく医療推進センター)と交渉するとともに、現地派遣メンバーからの要望や放医研連絡会での検討内容を逐次報告する役割を担当した。 当初、OFC やEOC との連絡が全く取れず、また、放医研には全国各方面からの多岐にわたる問い合わせがあり、その対応に大混乱をきたした。さらに、文部科学省などからの派遣要請により、15 日には大阪大学や愛媛大学などから次々と放医研に人が集ま                    放医研に残り、情報収集と物資供給に全力名誉教授(当時:原爆放射線医科学研究所 国際緊急被ばく医療研究分野 特任教授) 鈴木文男り、所内は手持ち無沙汰の人々で溢れる結果となった。また、千葉市内でも風評被害により食料品や保存食の買いだめが発生したために、滞在期間中の食料の確保に苦慮した。 パソコンを持参しなかったため、現地派遣メンバーや広島大学との連絡が困難となった(大規模災害時では、電話よりもメールでの連絡が確実)。放医研では、緊急搬送された負傷者の治療が行われるとともに、放医研が所有するモニタリングカーは、多くの避難住民の被ばく線量をサーベイするためだけでなく、救急資材や人員の搬送に際しても多大な貢献をした。 最も大切なことは、緊急被ばく事故発生時には十分な非常食や放射線防護機器などの確保と派遣者が独自で行動・活動できる交通手段(車)を準備することである。広島大学チームは2台の車により移動が確保できた。三次被ばく医療機関にあっては汚染負傷者を受け入れられる施設・人員を完備しておく必要がある。放医研原子力災害対策本部の会議に参加