ブックタイトル東日本大震災・福島原発災害と広島大学

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概要

東日本大震災・福島原発災害と広島大学

18第2 章 ヒロシマからフクシマへ① DMAT 出動                   困難極めた宿泊場所探し病院薬剤部 副薬剤部長 畝井浩子 平成23 年3月11 日14 時46 分に地震が発生し、15 時10 分に厚生労働省より全DMAT にEMIS(広域災害救急医療情報システム)を通じ待機要請が出された。17 時17 分に全DMAT 出動要請がありチームを編成した。私は調整員として出動し、活動記録、諸費用など金銭管理、隊員の食料確保、宿泊施設の確保など、円滑な医療活動を行うための支援を行った。 19 時00 分に広島大学病院を公用車で出発。山陽自動車道を走行中「呉港から海上自衛隊輸送艦『くにさき』が22 時に出港予定で車両搭載可能」との連絡を受けて急きょ呉港へ向かい、21 時40 分に乗艦し出港した。同乗DMAT は、広島大学病院のほか呉医療センター、県立広島病院、JA 広島総合病院だった。初出動という大きな不安の中で、艦内で時間を共有し以後も連絡を取り合ったことは、活動の大きな支えとなった。 13 日早朝横須賀港へ入港し7 時30 分に上陸した。自衛隊の先導で東北自動車道を北上中、福島原発の被ばく被害に関する情報が入り、福島県立医大病院内に設置された福島県DMAT 本部へ向かった。14 時00 分に福島県DMAT 本部へ到着。呉医療センターDMAT と共に、二本松市にある福島県男女共生センターへの出動を指示された。 氷点下の中、14 日未明の1 時00 分までスクリーニングを行った。屋内外で被ばくした疑いがあると思っている住民約100 人と老健施設の入所者、消防、救急隊、警察・救護班など職員約200 人、浪江、双葉両町の病院で被ばく可能性がある患者約120 人及び医療関係者が対象だった。 14 日14 時45 分に福島県DMAT 本部へ到着し、ドクターヘリの運行調整の補助を18 時00 分まで行い、その後21 時00 分までDMAT 本部の事務作業の補助を行った。その日は宇都宮にて宿泊、翌15 日17 時10 分に広島大学病院へ帰院し、病院長に報告した。 活動にあたり、隊員は寒さと初めての活動による疲労が際立った。しかし13 日夜の宿泊場所探しは困難を極め、災害用携帯電話で薬剤部職員に連絡して広島から手配してもらって、ようやく確保できた。 食料も重要である。自衛隊よりコンビニや各サービスエリアのガソリンや物資の供給状況などの情報を得て、途中食料の調達およびガソリンの補給を行った。13 日夜も近くの居酒屋からおにぎりを調達できたが、14 日にはサービスエリアにほとんど物資が無く、出来る限りのパンなどを入手して何とか食料を確保した。 今回の活動では、何よりも平時からの訓練の大切さを実感した。幸い、食料や宿泊場所を確保できたとはいえ、出発前の物資・活動費準備の重要性を再認識した。調整員は通信や活動記録、食料・宿泊の確保など、平時の医療とは異なる様々な活動が求められる。今後、円滑なDMAT 活動には調整員が1チーム2人は必要であろう。 最後に、被災地における多くの方々の献身的な活動に対して畏敬の念をささげると共に、自衛隊や多くの方々からいただいた支援に深く感謝申し上げたい。GMサーベイメータを用いた放射線スクリーニング