ブックタイトル東日本大震災・福島原発災害と広島大学

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概要

東日本大震災・福島原発災害と広島大学

8第1 章 2 年間の被ばく医療支援を振り返る被爆地ヒロシマの研究者として          福島の復興を全力で支援緊急被ばく医療推進センター長、原爆放射線医科学研究所長 神谷研二 広島大学は、平成16 年に地域の三次被ばく医療機関に選定され、それ以来、新たに組織した緊急被ばく医療推進センターを核にして緊急被ばく医療体制の整備事業を実施してきた。 東日本大震災が発生した平成23 年3月11 日、私たちは午後から国立呉医療センターで緊急被ばく医療の除染訓練を実施していたが、大地震のためにDMATに派遣要請があったとの情報で急きょ広島に帰任した。その夜、突然、内閣総理大臣の原子力緊急事態宣言が発出されたが、福島第一原発の原子炉の状態や環境放射能汚染に関する情報は全くないまま時間だけが過ぎた。 12 日朝になっても国からは何の情報も得られなかった。しかし万が一の被ばく事故に備えるために、私は浅原利正学長のご指導を得て広島大学緊急被ばく対策委員会を立ち上げた。越智光夫病院長や谷川攻一教授にも急きょ集まってもらい、十分な情報がないまま、とにかく委員会として原発事故に対応するため、まず福島に向けて第1班の緊急被ばく医療支援チームを派遣することを決めた。 私が委員長として広島で指揮を執ることになり、第1班には谷川教授や細井義夫教授ら7人に参加してもらうことにした。12 日の午後、放射線医学総合研究所に向けて出発するチームを、捉えどころのない不安の中で新幹線ホームから見送ったことを昨日のように覚えている。 その後、テレビから流れて来る津波の映像や原発事故の情報は、現実とは思えないものだったが、特に原子炉建屋の水素爆発の映像にはショックを受けた。 第1班の派遣以来、37 班のチーム延べ1,244 人(平成24 年3月31 日現在)を継続的に福島県に派遣し、福島県、国、放医研、及び福島県立医科大学などとの連携の下に住民の安全・安心のためにさまざまな活動をしてきた。崩壊した緊急被ばく医療体制の再構築や浅原学長のオフサイトセンターの訪問、国の担当者との意見交換